一人で卒業式
治多 一子
先生「コレコレ、どっちへ行く?」
生徒「車に聞いて!」
これは自動車学校の先生と私との対話である。教え子のKと私はいっしょに自動二輪の免許をとろうと、八月中旬、西大寺の自動車学校へ入学した。彼女はすでに原動機付自転車を自由自在に乗りこなしていたし研究心旺盛の上、運転の才能に恵まれ、いたってカッコよく二輪を乗り回す。それにひき比べ、私は自転車は乗れるが、オートバイはいまだかつてさわったこともない。友達に言うと、
「定年退職が秒読みの段階に入っているのに、ええ年こいて今さら何するの」
「年寄りの冷や水ね、おやめなさいよ」
とさんざんである。ただ一人、
「ようやるワ」
と言った。褒めてくれたと思ってニコッとすると、すかさず一言
「あんた、アホとちゃうか」
百キログラムをこえるオートバイでセンタースタンドが立てられない。自転車のハンドルと間違えてアクセルをふかしてしまう。
全くなさけない。先生方もこの生徒をいかに指導すべきか戸惑って、悲しげな顔をされること再三である。私のオートバイの荷台を持って汗だくだくで走って下さったりなどで、すっかり疲れてしまわれたことと思う。
まもなく卒業検定試験に合格し、無事卒業して、私の所期の目的年齢への挑戦≠ノどうやら打ち勝つことが出来たのである。だが文字どおり手とり足とりして教えて下さった先生方は、もうすでに次の生徒の指導に行ってしまっておられた。
おかげさまで今、卒業出来ました≠ニ報告する機会もなく、卒業式とてなかった。
もう半年もすれば、各地でそれぞれの学校の卒業式が行われる。
戦争、学園紛争、その他で卒業式の挙行されなかったところもあったが、無事に卒業式が行われるということは誠に結構なことである。形式にとらわれることなく、先生が心から生徒の卒業を祝福して送り出し、生徒も心から先生に感謝し、互いに名残を惜しみつつ別れる卒業式が出来たら、それはどんなに素晴らしいことだろう。
私は帰途ひとり平城宮跡に立って、お世話になった先生方の顔を思い浮かべつつ、大声で仰げば尊し我が師の恩……≠ニ歌っているうちに涙がポロポロこぼれ落ち、若草山がボーッとかすんで見えた。
昭和52年(1977年)9月17日 土曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第17回)
随筆集「遠雷」第13編
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