カマイ魔讃歌
治多 一子
わたしの友人には何人ものカマイ魔がいる。なかんずく、そのサイたるものがYである。
先日彼女の乗っているバスで幼児が度々窓から手を出し運転手さんの再三の注意にも聞かないので、見かねて
「坊や、オテテ出すと危ないよ」
と教えてやると横に座っていた若い母親が
「OOちゃん手なんか出してないわネ」
と言ってYの方に白眼を向けたという。
またごく最近のこと、近鉄線のある駅で数人の男女高校生が、当然授業も始まっている時間に遊んでいるので、カマイの虫がまたぞろ頭をもたげ
「あなた達、学校へ行かないとお母さんが心配なさるわよ」
と思わず言うと、聞いた高校生
「オバハン関係ないやろ、ひとのことかまうな」
と一斉にかみついて来た。
こんな情けないことばかりではない。
過日所用でYの近くまで行き、ついでに立ち寄ると折よく在宅していた彼女は
「今お客さん帰られたとこよ」
「遠くからの人?」
「いいえ、近くのおばあさんがおはぎ℃揩チて来て下さったの」
お皿のおはぎ≠ノセロハン紙をかぶせテレビの上の小さな写真……多分御主人のお母さんのだろう……の前に供えてあった。
おばあさんは共働きの娘夫婦、孫達と暮らし、昼間はひとりボッチなので、Yは頼まれているわけでもないのに、時々柔らかい食べ物を持って行ったりして面倒を見てあげている。
八十五歳になったおばあさんは感謝の気持ちをこめてこの彼岸の中日に、わざわざおはぎ≠作って持って来られたのであった。
「ひどい二つ折れの上に、小さくなっておられるので、女の子がお人形ごっこするときの子供用の乳母車を押して来て下さったのよ」
話している彼女の目が潤んで来た。不自由な身体なのにYにあげたい一心で……と聞いている私も感動で胸が一杯になった。
この頃は他人の事はかまわない、また見て見ぬふりとかが多い。いい意味のカマイ魔であるには誠実が必要であり、時には勇気さえいることである。Yのようなカマイ魔が多ければ多い程、潤いのある、明るさの満ちた社会により近づくのではないだろうか。
昭和52年(1977年)10月20日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第18回)
>随筆集「遠雷」第14編
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