遠雷(第19編)

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闇の中で

治多 一子

 きものの話、進学の話、草花の話など、女数人集まると、つぎからつぎへと際限なくおしゃべりは続いて行く。中の一人
 A「何かおいしいもの頂きたいわ」
 B「アーラいやだわ、さっきから食べ通しじゃないの」
 A「でも何となしに物足らん感じ」
 C「本当にネ、だけど、これ食べたいというものあるの?」
 A「それがないのよ。戦争中と違ってネ」
 集まった我々は一人残らず戦中、戦後と生き、あの食糧難を体験しているのである。
 B29の本土への来襲におびやかされた頃のこと、あの日も空襲警報がなり、我々寮生は防空頭巾をかぶり本館の地下室へ急いで避難したのである。
 地下室は真っ暗で何も見えない。ジッと解除になるのを待っていた。そんな時
 「ああ、マスカット食べたい!」
と一人が言った。岡山出身のOの声である。闇の中、別の声
 「チョコレート食べたい!」
 これは金沢のNである。みんな口々に何やらかやら言っていたが、カン高いK独特の声が奥から
 「わたし白米に、白菜のお漬物食べたい!」
 一瞬みんな黙った。
 誰もが、おなか一杯食べられない時代であった。いもやらスイトンなどが主食で、白米など到底口に出来ない。
 これは遠い昔のことになってしまった。あんなひもじい経験は二度としたくない。あの辛い思いを、戦争を知らない時代の人に語りつぎ、どんなに今が仕合わせであるかを教えていくのが、我々飢餓時代を堪えぬいた者の一つの使命ではないだろうか。
 Oは空襲のさなか父親に伴われて帰省した。その後彼女の消息を知るものは誰もない。
 Nは数日後の空襲で寮がやられ、その時のけががもとで再起不能となった。そして食べたいと言ったチョコレートが出回る前に、若き命を自らの手で絶ってしまった。
 たった一人健在しているKは今名古屋大学で教鞭をとっている。彼女は自分の言ったことを覚えているだろうか。
 警報が解除され避難場から出て来た私の目に、ポプラの梢の先で青白く光っていたオリオン星の冷たい輝きを、あの闇の中の声とともに今なお忘れられない。

昭和52年(1977年)11月22日 火曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第19回)

随筆集「遠雷」第15編

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