遠雷(第21編)

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治多 一子

 奈良は冬、寒空の下にこそ伽藍の美しさありという東京のOのお伴をして興福寺の湯屋のそばを通った。昔はおん祭≠ニもなればここにいろんな見世物が並んだ。よくサーカス≠ェ来てジンタが美しき天然≠かなで、観客をひき入れるために時たま幕を挙げて、チラッと一瞬見せてくれるのであった。私はモーレツにサーカスの子になりたかったので友人のNに言うと、
 N「せやったら、子とりに取られたらええで」
 私「どうしたら取られるの」
 N「寂しいところで、独り立ってたらいい。あんたそんなになりたいか、ウチはお寺の子になりたいワ」
 私は彼女に教えられたように、それから何日も家から数百メートル離れた田んぼの中の道に立ったが、一向に目的が達せられないので
 私「子とり取りに来ないよ」
 N「そら、あんたヘチャやからや」
 言い難(にく)いことをはっきり言われ私はあきらめた。
 友はその後念願叶(かな)ってお寺へ嫁ぎ、おくりさんとして活躍している。幼い頃の夢が束の間の夢であったり、将来を決定する夢であったりするなあと思い、今一緒に歩いているOの甥Tちゃんの事を考えていた。
 Tちゃんのお父さんは一高−東大出の正真正銘のエリート官僚、上の兄さんも中の兄さんも二人とも東大生で下の兄さんは東京教育大附高の2年生でやっぱり東大目指してがんばっている。
 Tちゃんは末っ子で中学3年生である。数百人中何時も十番以内の成績をとっているのに高校へ行かないといい、月給もらって働くのが嫌いで自分の腕一本で生きて行きたいから中学で辞めると言い切っている。そして棋士を目指し毎日、将棋の会所で大人相手に五、六時間は対局している。現在アマの四段になっていて今度プロの試験を受けるのだと燃えている。
 お母さんは高校、大学と進み無難なコースを歩んでほしいと主張するがTちゃんは聞かない、母親は仕方なくあきらめ、
 「プロの試験受けさせるから高校の入試も受けてほしい」
 Tちゃんは会所へ通いつつ高校受験の勉強も少しはしている、が、入学後は中退する決意は固いらしい。
 人間は幾たびか人生の岐路に立つものであり、いずれを選ぶか正に賭である。Tちゃんは健気にも多難な道を選ぼうとしている。彼の夢が叶えられ立派な棋士が誕生するよう切に祈っている。


※ ジンタ(じんた):サーカス・映画館の客寄せや広告宣伝などに、通俗的な楽曲を演奏する少人数の吹奏楽隊とその吹奏楽の俗称(広辞苑 第三版から)

昭和53年(1978年)2月16日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第21回)

随筆集「遠雷」第16編

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