遠雷(第24編)

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おい、金を出せ

治多 一子

 十月ともなれば氷室神社の祭りをかわきりにつぎつぎと、あちこちの神社でお祭りがある。みこし≠ェ出て幼児がそろいのお祭りのハッピを着て行列に加わって歩く姿は自然と微笑を誘うものである。
 この町でも今日、祭りがあったのだろうか。幼児がきちんと巻物を着て歩いて来た。とてもかわいい感じだったので思わずニコッと笑いかけた。私はその男の子が笑うか、恥ずかしがるか位に思ったが、あにはからんや私の顔をグッとにらんで
 「おい、金を出せ!」
と凄んできた。じょう談だろうから調子合わせてやろうと笑って言った
 「お金ないよ」。
 幼児も笑って通り過ぎると思ったがどうしてどうして、さらに
 「50万円用意しろ」
 「そんなに無いよ」
 あきれて言うと
 「お前がないなら、オヤジに言え!」
 もう幼児の声ではない。声を押し殺したまさに恐かつ者の声音で私をにらみつけて言う。一体私はこの子と何のかかわりがあると言うのか。ただ偶然行きずりに出会い、そしてすぐ東と西とに別れて行く大人と幼児とに過ぎない。
 道ばたで幼い女の子が、ままごとで土まんじゅうを並べて
 「おまんじゅう食べて」
というのとあまりにも違う。
 先日小学校の女生徒が下級生の女の子をマンションの屋上から突き落とし死なせたという事件があり、テレビで刺激されての犯行だと報じられていた。
 この他今までに、幾つかの事件がテレビで毒されて起こったと聞いているが、直接かかわりがなかったのでピンと来なかった。しかし、この体験で、かかる幼児が現実とテレビでの世界を混同しているという事にあらためて空恐ろしい思いをした。
 私は二度ばかり荒野の素浪人≠ニいうのを見た。浪人がベラボウに強く悪人をバッサ、バッサと切りまくり、若侍が五連発の短銃でパンパンと威勢よく悪人ばらを撃つというストーリーで、作り事だと分かりつつも画面に引き入れられてしまう。
 まして小さな子供となると日常生活にテレビが入り現実と非現実が一緒になり、幼児が大人を強迫したり、いわれなき犯行を犯すことにもなるのだと考えると、どこかでストップ・ザ・テレビをかけてほしいと思う。

昭和54年(1979年)11月4日 日曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第24回)

随筆集「遠雷」第17編

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