第 九
治多 一子
にがにがしいもの、文化人ぶってやたらと音楽の知識をひけらかす人。これはわれわれウルトラ音痴族の一致した意見である。
ずいぶんむかしのことになるが、女学校の後輩Tと市内の商店街で偶然出会った。彼女は私の顔みるなり話しかけてきた。
「第九のレコードやっと手に入ったのよ。今すぐ聞きにいらっしゃい」。
女学校時代音楽会ともなるとスターであった彼女が、こんなに興奮するのだからいいものかなと思ってついて行った。自分と同様に私も音楽に興味をもっていると考えたのか、いろんな事しゃべりながらレコードをかけてくれた。すごくうれしそうで感激そのもの。私は何がそんなにいいのか、皆目分からず早く終わってくれないかなとイライラしたことを覚えている。
過日行く秋を惜しみてグループで紅葉狩りに行き、帰りに町はずれの小ぎれいな店にコーヒーを飲みに入った。その時、老漢学者の風格のあるM先生が、
「ワタシは音楽で命を助けられた」
とふともらされた。一緒のKさんは無類の音楽好きだから、途端身体をのり出し
「何の音楽ですの」。
M先生「第九を聞いてな」
Kさん「あの第四楽章はとても素敵ですね」
私の苦手の第九である。
M先生「ワタシはな、むかし家庭的な苦悩のため、死ぬ時を待っていた。そんな折友人がレコード聞かせてくれたのが第九だったよ。その第四楽章に『お前は何しとるのか、しっかりせよ』と無茶苦茶にどなりつけられたのですわい。そこで死ぬことをやめ、もう一度がんばろうと決心した」。
当時を思い出してしみじみ語られるM先生の目には、心なしか光るものが浮かんで見えた。
あの逆境に耐え次々と偉大な仕事をし続けたベートーベンの情熱が、魂が、二百年近く経っていても遠き異国の青年の生命を救ったのである。同じ音楽を聞きながらも早く終わってくれと願うものなどさまざまである。
どんな偉大な芸術といえども関心のないもの、振り返ろうとしないものには全く無縁のものなのだろうか。Kさんは
「私の家にあるから聞きにいらっしゃいよ」
と言ってくれた。私は思い切って一時間二十分辛抱することにした。
べートーベンは私に今度は何を語りかけてくれるだろうか。楽しみにしている。
昭和54年(1979年)12月28日 金曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第26回)
随筆集「遠雷」第19編
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