遠雷(第27編)

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N君のお母さん

治多 一子

 フードセンターで支払いの順番を待っていると前に並んでいた若い女の人達が…、
 A「あんたとこの○○ちゃんよう出来はるってネ」
 B「そうでもないけど、今の先生になって勉強するわ」
 A「うちの子の先生あかんわ。ちっとも勉強せんし、あの子先生運悪いわ」
 C「ボチボチ親の言うこと聞かんようになって来たから先生きつうやってくれはらんとな」
 D「ほんまに、うちも先生運悪いわ」
 同じ年頃の若いお母さんらはかなり大きな声で話し合っている。こんな調子で我々もどこで何をうわさされているやら…と思うと恐ろしくなってきた。そしてこの人達の言い分を聞くともなしに聞いているうち、暗い影が私の心に投げこまれた。
 それはN君とそのお母さんを思い出したからである。
 N君は自分の意志で昨春学校を辞めたのである。一人っ子であまりにも大切にされたせいか意志薄弱なやる気を失った生徒だった。
 皆が進級するなかでひとり取り残された生徒がいるのは、教師として何とも言えぬいやな暗い気持ちに襲われるものである。その時精一杯やったと思ったことでも、時間が経つに従ってもっと取ってやるべき方法は無かっただろうかなど折にふれ思うものである。
 まして先程の様な会話を耳にすると、N君のお母さんはどんな気持ちで学校を思い、受け持ちの私を恨んでおられることだろうか。人は自分のつまずきをえてして他人のせいにしたいものである。
 いわんや教育の場においての出来事だけに教師の私にどんな不満をもっておられるか分からない。つぎからつぎと考えながらやる瀬ない気持ちで帰宅したとき、思いもよらぬN君のお母さんからの便りが届いていた。
 ご無沙汰のおわびとN君が専門スクールで学んでいる旨などが記され、さらに
 「…お目にかかり子供の近況をお話して少しでも安心して頂きたく思いましたが、勝手ながら書面にてご報告させて頂きます。ほんとうにありがとうございました…」。
 恨むどころかお礼さえ述べられてある。読む私はうれしさに涙で文面が滲んで見えた。
 この心美しいお母さんの祈りがきっとN君を立派な社会人に成長させるに違いないと確信し、かつ念じつつお母さんへの返事を早速したためた。

昭和55年(1980年)1月17日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第27回)

随筆集「遠雷」第20編

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