遠雷(第28編)

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散らさすな

治多 一子

 所用あってYさんの家を訪れたら開口一番、
 「Kが手の骨折ってきたのよ」
 「アレー、どうして」
 「いけないと言うのにオートバイになんか乗っててね」
 スピードの出し過ぎで曲がりきれず脇道の松の木に衝突して折ったとのこと。Yさんは「どんなにやかましく言ってもいうこと聞かず、かくれて友達の車に乗っていたのよ」
 Kちゃんは男子ばかりの学校に通っているYさんの長男である。免許もないのにバイクに乗るし、スピード狂でもあったらしい。
 いくら注意しても聞かずYさんは自分で頭打って気付くまで仕方ない≠ニあきらめた矢先のこの事故である。
 流石(さすが)にKちゃんもこれにはすっかりこりたようである。世の中ではいろんな事も体験し頭を打って成長し進歩して行くこともあるが、こんな命取りの体験は真っ平である。
 朝夕通る道端の小さな竹筒にいつも切り花がさされてある。うわさによると、マシンにとりつかれた少年の死んだ場所とのこと。
 何人かの若者はいう。
 「自分のしたいことして死んだのだから本望のはず、何もかわいそうなことないよ」
 いっときの熱病にかかって散るのがどうして本望といえるのだろうか。
 その少年はいわゆる暴走族のメンバーであったといわれ、お父さんはバイクに乗ることを猛烈に反対していたが、お母さんは息子さんに押し切られ許していたと聞いている。
 その日一緒に走っていた仲間のバイクのスタンドに接触し、車輪をとられ石垣に激突し意識不明のまま亡くなったという。
 輝かしい人生を歩むようにと両親やまわりの人の願いも空しく少年は逝ってしまった。本当に悲しく残念である。
 花を活けて帰るお母さんなのだろうか、婦人の肩を落とした後ろ姿を見かけることがある。
 本人が気づかねば仕方ないと言っていてKちゃんの場合の様に何カ月後には元気な身体に戻るならいいが、この少年の様に気づく事なく逝ってしまってはどうしようもない。
 毎日、毎日辛い悲しい思いでお詣りせずにはおられない目に遭う位なら、子供のためにお母さんは死にものぐるいで少年を説得出来なかったのだろうか。
 鹿がくわえたのか今日もまたせっかく活けられた花は無残にも雨の中路上に飛び散り車にひかれていた。

昭和55年(1980年)2月11日 月曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第28回)

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