遠雷(第32編)

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もう買いなはれ

治多 一子

 「今度は洗濯機がだめだと言うのよ」
 先輩のKさんはなさけない顔して言った。
 「そんなに経ってないのでしよう」
 「そうよ、でも部品がないんですって」
 Kさんはこの間もラジオがだめになったと言っていたばかりである。そういえば私の友人で洗濯機が四つ目というのもいる。炊飯器がだめ、掃除機もだめと次から次へと買いかえて行かねばならないとこぼしている友もいる。
 この間私は、それこそ何十年ぶりかでミシンをかけようとしたが、全然動かない。女学校に入ったとき母が知人のすすめでこのミシンを買ってくれたのである。長い間使わなかったのでだめだと思ったが、さりとて新しいミシンを今さら買おうという気もないし、世話好きの友人に話すと、
 「なおしてもらはったらよろしい。電話してあげますワ」
 二、三日してTさんが来て下さった。そして長い時間かかってあちこち分解しておられた。もう古くて、なおしようがないから新しいのを買うほうがよろしいですよ…と、言われるのかと思ったが、さにあらず新しい部品を取り換えてなおして下さった。
 「おいくらですか」
 「この部品が千円しますので千円で結構です。もし部品取り換えなかったら無料ですが」
 「ええ、たった千円?」
 私は驚いてTさんの顔をじっと見た。この品はこの人の子供のころ東向町のTさんの店で買ったのであり、実に長い年月経ってのアフタサービスである。おまけに針まで頂いた。
 あの折
 「この機械は一生使えますよ」
とセールスの人が言ったのを私は明りょうに覚えている。しかしセールスマンのだれしもが言うこと位にしか思っていなかった。だが実際その通りでメーカーは自信をもって販売していたのであった。
 それにひきかえ日本の現在のメーカーは次から次と新しい製品を出し、数年後には部品がないからと言ってもう買いなはれ≠ニ次の製品を売る。収入もぜい沢に入っているうちはいい。だが、それが途絶えたものにとって数年のうちに次々と新製品を買わざるを得なくなるなんて実に辛いことである。
 新製品を作るのもいいが、やっとの思いで買ったものが悲しい目をみない方法をメーカーに真剣に考えてもらいたいものである。

昭和55年(1980年)6月12日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第32回)

随筆集「遠雷」第23編

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