祖母の祈り
治多 一子
「わたしは召集されて海軍に入りました」
一人のかっ幅のいい紳士が私の隣の人に向かって話し出された。私鉄急行列車の中でのことであった。
「駆逐艦に乗って南方へ行ったとき敵の潜水艦の攻撃を受けて私の乗り組んでいた船が沈没しましてネ」
「よくまあ、ご無事で」
「おかげさまでした」
と、くだんの紳士はいい、次のように語られた。
攻撃を受けて海にほうり出され九死に一生を得た私は木片を見つけ、それに身をゆだねた。まわりには何人もの戦友が同じように木片にとりすがって漂流していた。しかしやがて疲れ果てて手を離してしまったのか、その姿が一人、二人と波間に消えて行った。
そのうち自分も木片につかまる力も失い手を離しそうになった。丁度そのとき海上にありありと、おばあさんの姿が浮び上がった。
「おばあちゃん!」
私は無我夢中でその方に向かって泳いで行った。もう少しでおばあちゃんに近づけると思うとその姿はすーっと遠のく、こん身の力をふりしぼり近づいて行くと、また前方にと姿が退いて行く。
何度かそうして死力を尽くしているうちに夜はしらじらと明けて来て、通りあわせた友軍の艦船に見つけ出され救助されたのである。
後日聞くとその時刻、おばあさんは異常に寝苦しく、胸さわぎがしたので起きだし、かわいい孫の武運長久を夜通し拝んでおられたとの事であった。
極限状態であったあのころ、アチコチでこんな話が聞かされたものである。
「今日こうして生きておられるのは本当に祖母の祈り≠フおかげです。明日は命日なのでお墓へ参ります」
紳士は鼻をつまらせ、さらに
「この話は子に、孫にと語りついでゆきます」
と結ばれた。
もうお盆である。多くの家では、自分達子孫のしあわせを願っていた先祖に、今無事に生きさせていただいている事を感謝して、ふるさとへの墓参を計画しておられる事と思う。
昭和55年(1980年)8月12日 火曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第34回)
随筆集「遠雷」第24編
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