遠雷(第36編)

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わたしもやられた

治多 一子

 先日早朝、私は所用あって中宮寺さんへ行った。帰途、斑鳩の里、塔のある風景の美しさを満喫しつつ、かつ御門跡様からチベットのお土産をいただいた感激にひたっていた。
 しばらくしてバックミラーに急速に近づいてくる大型車が映り、追われる思いで最近教えてもらった道を進んだ。
 と、降ってわいたように突然灰色の人影が前に立ちはだかるかの如く現れた。警官である。
 「この道通れないこと知らんのか」
 この間通っただけだから急に改正になったと思い驚いて、
 「アレ!! 何日からですか」
 「入り口の標識を見なかったのか」
 「ハアー」
 追ってくるダンプにとても見るどころではなかった。私は警官の親切な警告と思いこみ、このままバックしたらよいのか、どこかで方向変換したらよいのか教えてもらえるものとジッとその若い警官の顔を見ていた。
 だが様子がいささか変なので単なる親切心からの忠告でないことに気づいた。ややあって私は検問にバッチリひっかかったことが分かった。
 七時三十分から九時まで規制のあるところへ進入したことで、免許を取って以来初めて、かねてうわさに聞いていた青切符をもらい、五千円支払うハメになったのである。
 「通ったらいけませんよ≠ニ教えてもらったと思ったわ」
とあとで友人に話すと、
 「甘いワ、警察はそんなところと違う」
と一言のもとに冷笑された。
 長い間教員生活をしていると、いつも、いろいろ同じことを繰り返し注意し続けているので、つい同じ気持ちになってしまったのである。標識の前に立って、
 「ここへ入ってはいけませんよ」
というのが教師であり、標識の中で待っていて、
 「ここへ入ったからいけない」
というのが警察−ひいては社会−の立場であると思い知らされた。
 今三年の生徒は就職試験の真っ最中である。この子たちは三月には学校を巣立ち、実社会に入っていくが、学園生活と違い必ず現実社会のきびしさに直面しとまどうことだろう。
 しかしその体験を糧とし次の世代を担う立派な人間に成長してほしいと、青切符を見つめつ思った。

昭和55年(1980年)11月7日 金曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第36回)

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