悲しい葉書
治多 一子
「年とったせいで最近喪中につき…≠フ葉書が多く来るようになったわ」
「本当にそうね。しかも同じ年代の人が多いのよ」
「寂しいわね」
今日街でコーヒーを飲みながらの私たちグループの会話である。
実際、若いときはほとんど来なかったのに特にここ数年、十二月に入ると悲しい通知が多く来るようになった。亡くなったのは同僚であったり、その配偶者の場合のこともあり、ごく親しくしている家の方だったりする。
その通知はごく全部ありきたりの文面である。それだけに無情がひとしお感じられる。こんな葉書を受け取るたびに私はかつて届いた友人の文を思い出すのである。
姑(はは)は九十三歳で亡くなりました。姑と一緒に住み、姑から教えられ、助けられた年月が長うございましただけに、その別れは悲しく辛いものでございます………
そこには天寿をまっとうしたなど使い古しの言葉はなかった。亡くなった方を慕い悲しむ気持ちがにじみ出ていつまでも私の心に残っている。
本当に心のつきあいは長ければ長いほど、深ければ深いほど別れはつらく悲しいものである。訃報に接してから改めて、生前中にお会いしたかった。どうしてあの時おうかがいしとかなかったのかと、ほぞをかむ思いをしたものである。
昨日見知らぬ老婦人が来られてね≠ニ友人が語った。
「昔、あなたのお母様にとても親しくしていただいたので懐かしくぜひお目にかかりたいと思いまして」
「母はもう死にましたの」
「ああー、お会い出来ることを楽しみにして参りましたのに……」
うちひしがれた様子で帰って行かれたとのこと。もう少し早く来られたら、お二人で昔の楽しい思い出話に花が咲いたことだろうに聞いた私でさえ残念で口惜しくなってくる。
こんなことを考えると、手紙を出そうと思ったら、会いに行こうとするならば一日のばしにしないで思いついた時直ちに実行すれば悔いが残らずにすむ。
今日も届いた悲しい知らせの葉書を手にとり、亡き方の思い出にひたりつつ、お互いに生きている間に助けあい真実のつきあいをして行きたいものだと、みんなでしみじみと話し合ったが帰宅後も改めて反すうした。
昭和55年(1980年)12月16日 火曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第38回)
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