遠雷(第39編)

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コ マ

治多 一子

 「ぼくらの小さいころは正月には凧(たこ)とかコマを買ってもらって遊んだのに、今の子供は玩具がありすぎる」
 「あのころは何もなかったのう」
 中年の人の話を聞くともなく聞いていると、Kちゃん母子の事をまた思い出した。
 K少年のお父さんは応召され四人の小さな男の子を残して外地へ行った。そこで終戦となり、そのままソ連に抑留されたのである。みんなで待てど暮らせどお父さんは、なかなか帰されなかった。
 Kちゃんの母親のSさんは小学生だった長男のKちゃんをかしらに四人の子供を女手一つで育てて行かねばならなかった。考えて見るとあのころは、私のもらった月給全部でもヤミ米一升すら買えないきびしい苦しい時代であった。発育盛り、食べ盛りの子供をかかえてのSさんは随分苦労なさったようである。
 お正月ともなると男の子はみんな新しくコマや凧を買ってもらい、コマ回し、凧あげに、また女の子は羽根つきに興じたものだ。
 Sさんは子供がひがんだり寂しい思いをさせまいとコマを買い与えられたのである。そしてある日、台所のSさんにKちゃんの大きな声が聞こえてきた。聞き耳をたてると、近所の子供と遊んでいる弟のYちゃんに
 「お母さんが苦労して買(こ)うてくれはったコマ、土の上で回すな、畳の上で回せ」
と言っていたという。この話をうれしそうに聞かしてくれるSさんの目にいっぱい涙が浮かんでいた。
 子供心にどんなに苦労して育ててもらっているか、苦しい生活の中から自分達が新しいコマを買ってもらえたありがたさを十分知っていたのである。
 正月になると私はいつも、キラキラ光り今にもこぼれそうな涙を浮かべて語ったSさんを思い出す。
 あれから三十年経った。Kちゃん達四人はみんなそれぞれ大学を卒業し立派な社会人として活躍している。長いきびしい抑留生活のあと心身ともに疲れ果ててボロボロになってお父さんは復員された。
 物の乏しいなか、やっと親から与えられた一つの玩具なるがゆえ、一層母と子の心は温かく結びつき、彼ら親子の中には断絶などあろうはずがない。
 Sさんたちはコマの事は遠い昔で忘れているかも知れないが、思い出す私は、両親といっしょに住む幸福なKちゃん一家をよかったなあ≠ニ心から喜んでいる。

昭和56年(1981年)1月19日 月曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第39回)

随筆集「遠雷」第26編

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