遠雷(第40編)

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お前はちがう

治多 一子

 少年A「お前アホか、親にもらえよ」
 背の低い子がノッポの子に言っている。横のずんぐりむっくりしている子も
 少年B「お前の家に高校生がアルバイトで来てるんやろ。お前も同じように働いているのとちゃうか」
 少年C「ウン、そりゃ働いているよ」
 少年B「そしたら同じように金もらえよ」
 少年C「お父さんに、ぼくもアルバイトのお金ほしいと言ったらあかん≠ニ言わはった」
 「理解に苦しむのう」
といいながら少年たちは顔を見あわせた。しばらくして、くだんの少年は
 「お父さんは、お前のはアルバイトとちがう家の手伝いや。手伝いするのに金渡す必要ない≠ニ言わはるんや」
 そう言う少年からは、みじんも不平不満さが感じられなかった。
 このM少年のおじいさんは鮮魚の卸商をしておられたから、お父さんは毎朝三時に起き、おじいさんと一緒にトラックで大阪の中央市場まで魚を仕入れに行かれた。そして帰宅後、その足ですぐ大学へ通ったという。四年間そうした生活を続けて立派に大学を卒業されたのである。
 一日や二日ぐらいなら出来ようが長い月日のことその間には、暑い日、寒い日、あるいは体調の悪い日など休みたい日もあったに違いない。だが、それを乗り越えてやり遂げたお父さんだからこそ息子に向かって堂々と言えるし、また少年もお父さんに頭が上がらないようだ。
 M君は学校の休みともなれば当然のこととして家業を手伝うだろう。
 かつて友人の二男坊がアルバイトした会社に学校を卒業して正社員となった。ところが神経をすり減らし、一生懸命働いてもらった月給がアルバイトで得たよりずっと少額だったと悲観していた。
 しかしそれが現実である。各自事情があってアルバイトするのだろうが、得るものもある反面失うものも多々あることを考えなければならないと思う。アルバイトしようとして新聞に出した広告がもとで、若い命を奪われた小百合さんの事件もついこの間のことである。
 M君のお母さんは、女親の立場で子供の気持ちをくんで、ひそかにお金を渡すなど決してしないという。
 両親が一致して子供の教育に信念をもってあたっているから、M少年は必ず両親の期待にこたえることだろう。

昭和56年(1981年)3月4日 水曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第40回)

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