遠雷(第42編)

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運が悪い

治多 一子

 「落第しかかっている生徒の補習のため急いでいたから助けて」
 「免許証出して下さい」
 「見逃してもらった人たくさんいるのに助けて」
 「そんなはずない、ダメ」
 「向こう側の車あんなにスピード出しているのに」
 「あんたは運が悪い」
 警官とのこうした問答の末、結局私は青切符をもらい、八千円を支払うハメになった。単位を落とした者の補習に出かけるのに愛用の自転車に乗ろうとしたらパンクしていたので車に乗った。もしパンクしていなかったら、あるいは、あげられた場所を通るのがもう数分早いか遅いかで私はひっかからなかったのだが……。全くツイていない。
 「後からライトをつけて警察のバイクが追って来たので、私はてっきり銀行強盗か、事件の犯人追跡中と思ったのよ」
と言うと、聞いていた友人はせせら笑い
 「あんたテレビの刑事ものの見過ぎやで」
 世の中には往々にしてあの人があんな目に遭うなんて運が悪かったのネ≠ニ言われることがよくある。
 私の場合、当分むだつかいしないよう極力気をつけたら八千円は埋め合わせるし、引かれた点数も何カ月かすれば消えてしまい、あの時は本当にツイてなかったなあぐらいですむのだが、こと生命にかかわることとなれば別である。運が悪い≠ニアッサリ片付けられたらたまったものでない。
 あの日に限ってあの飛行機に乗ったから、あるいは、あの道を歩いたからあの事故にあった等々聞く。そんなことを耳にするたびにかなり昔のことになるが思うことがある。
 ブレーキのきかなかった電車が暴走し花園駅で大勢の死傷者を出した。私の女学校の後輩がたまたまそれに乗りあわせ嫁ぐ日を目前にして亡くなった。とても美しく、物静かな人だった。
 当時そのことを聞いた人はみんなかわいそうに運が悪かったのね≠ニ言っていた。
 電車を走らせる前に十分な点検が行われていたならば、あんな大惨事が起こらなかったはずである。何事によらず生命にかかわる仕事にたずさわっている人達は、万全を期して事故防止に努めてほしい。そして惨事が起こってあの人は運が悪かったのだ≠ニいう悲しい言葉を言わずに済むように心から願う。

昭和56年(1981年)5月27日 水曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第42回)

随筆集「遠雷」第28編

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