時効はない
治多 一子
「もうかった。もうかった」
高校三年のM子ちゃんが至極ごきげんさんである。
「どうしやはったん」
横の女の子の問いに
「おつりの千円札の中に、五千円札まじっててん。四千円のもうけ。上等のケーキ買うわ」
聞いた下級生
「返さんでもええの」
「かまへん。いつもたくさん払ってるもん、こんな事あってもいいわ」
彼女らの会話を聞きながら、私はこの間の体験を二人に話した。
ずっと昔のこと、私は女学校卒業後、上京して東京の学校へ行くことになった。入学式の朝、私は山手線に乗った。乗り物に極端に弱い私はその日も酔った。
電車がO駅に着いたので、下車しようとして歩き出したとたん吐きそうになった。人にかかってはいけないと瞬間考え、かがみこんで床に吐き出した。
だが、前にいた婦人の和服のすそにはねかえった。殺人的な国電のこみ方にごめんなさい≠ニあやまることも出来ず押し出されてしまった。
あれから何十年かたってしまった。酔って吐くたびに、いや酔うたびに思い出すのだが、どこのだれかも分からず過ぎてしまった。
せんだってのこと私は、新調したばかりの服を着て市内循環バスに乗った。降りやすいようにと真ん中のところに座った。後ろの方に若いお母さんが二人の女の子を連れて乗っていた。
停車場に近づいてバスはスピードを落としていた。と、くだんの少女の大きい方が立ち上がりツカツカと前に寄って来たなと思ったとたん私に向かってアッという間に吐いた。
私は大量の汚物をモロに全身に受けたのである。母親は、
「まあ、この子は」
と言ったきりである。何十年もたち、とっくに時効とも言えるころになって、なん倍もの報(むく)いを受けたのである。
服はもとより靴のなかまでゲロが入った。悪気はなくとも自分のした事でいつかは借り≠ヘ返さねばならないものだとしみじみ思い知らされた。
「あなたは今もうけたものと思っても、そのままだと、なん倍もなん十倍も後になって損することあるわよ。よく考えてごらん」
M子ちゃんは黙って聞いていた。今度会えば、
やっぱり会社に返しました
と言ってくれるに違いないと期待している。
昭和56年(1981年)7月8日 水曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第43回)
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