宝もの
治多 一子
茶器の手入れをしていたY夫人は何を思ってか突然
「お金持ちはかわいそうね」
と言い出した。
「え? どうして」
「だって、お金持ちは高いものでもすぐ買えて私たちのように安物にしろ、苦労して買えたという喜びがないもの」
夫人はお茶をしているので、道具がほしいが、そう買えるわけでない。できるだけ節約し、時にはご主人からくすねて、へそくりを作り、月賦でやっと手に入れるのだ。
彼女の言葉を耳にし、私も思い出した。知人の家で東海道五十三次の本物の版画を見た。それは夢にも見そうなくらい素晴らしかった。私にはどんなにあがいても絶対手に入るものでない。
その時、たまたま飲んだ即席おつゆの袋の中に名刺大の版画を印刷した紙が入っていて、二十枚集めて送った人に同じサイズの東海道五十三次を進呈すると記されていた。二十枚集めようと思った。同僚たちはすぐ
「ないよりましよ、協力して飲むわよ」
来る日も来る日も即席のお吸い物、みそ汁である。時には三時のお茶のかわりにもした。
「ついでに四十枚集めなさいよ」
と励まされ、友人も無理に飲んでくれた。
「ワシも飲んだげたで」
と度々紙片を持って来て下さった同僚もあった。
「N園と聞いただけでオエッ≠ニなるわ」
と言いつつ、セッセと友達は協力してくれた。やっと四十枚たまったので送った。
ああ、だまされた≠ニ思ったほどたって、やっと送られて来た。一つはその後行方不明になり、一つだけが手元に残っている。時折取り出して、一枚一枚繰って眺める。誠にチャチなものではあるが、苦労の末手に入ったものだ。
当時の同僚はある人は辞め、何人かは職場が変わった。そして
「家にあったから持って来てあげたよ」
とわざわざ紙を持って来て下さった先生はもうこの世におられない。
これはみんなの心温まる協力のおかげであり、私にとって宝ものである。
世の中に第三者が見て何だそんなものと思えても、持ち主には苦労しただけに、それに伴う思い出も多く、何にもまして大切なものがあるのだとY夫人の一言でしみじみ考えさせられた。
昭和56年(1981年)10月21日 水曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第45回)
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