一円の差
治多 一子
「とてもいやで、不愉快でしたよ」
長老格のK先生は私たちに、しみじみ語りかけられた。
私が初めて勤めたころはバスもなく、風でも吹けば恐ろしいほど砂ぼこりのたちのぼる道を同じ方向に帰るものが連れだって帰ったものである。
先輩の先生方は長い道中、後輩の私たちにいろいろお話しして下さった。
「私と友人は偶然同じ学校へ赴任したの。そして、その年の賞与に私が四十一円、友人は四十二円もらった」
K先生とそのお友だちは奈良女高師の文科を卒業された、まさに同期の桜とのこと。
「同じように働かされたのでしょう」
「もち論そうよ、私としては友人に負けないよう一生懸命つとめたつもりなのにネ。たった一円ぐらいでと、思われるかもしれないけど、お金の問題ではないのよ、校長さんが、そういう見方していることに、とても情けなく、いやな思いだったわ」
「それがずーっとでしたの」
「そうよ」
和服姿で袴(はかま)をつけた物静かなK先生も、当時を思い出してか、いささか興奮してこられた。
「ところがね」
私たちは一斉に先生の顔を見た。
「校長さんが代わられた途中に、賞与の額が逆転したのよ。今度は私の方が多くなったの」
「お友達の方が怒る番ですね」
案の定、友人がカッカと怒り出したそうである。ボーナスのシーズンになると、何時もK先生のこのお話を思い出すのである。それこそずっとずっと古い時代の話であるのに…。
たかが一円のことぐらいに怒っておとなげないと思う人があるかもしれないが、結局これは二人の校長先生の彼女らに対する評価のあらわれで、主観の相違というより仕方ない。実際同じ人間を見ても見る人によって、見方によってその評価が変わるものだと思い知らされた。
今、学期末考査の最中である。採点し、各生徒の成績を記入する仕事が目の前にひかえている。
甘やかさず、落ちこませず、明日に向かってやる気を起こさせるように、精いっぱいの配慮をしなければならぬと思いつつも、評価をつけることのむつかしさをいつも感じさせられる学期末である。
昭和56年(1981年)12月16日 水曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第47回)
随筆集「遠雷」第30編
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