遠雷(第49編)

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ある晴れ着

治多 一子

 「少し破けたソックスどうしているの」
 突然、Yさんが言った。
 「つぎをしようと思って集めてあるけれど、なかなか出来ないわ」
 私が言うと友人は情けない声して
 「私もそうしていると娘が、ケチって言うの」
 「ゴムのところだけノビで、破けてないの捨てるのもったいないわね」
とYさん。
 「娘なんか、消耗品だものと言ってドンドン捨てるわ、私はもったいないから拾ってはくの。これもそうよ」
と友人は足元を見せる。どこも何ともなってない。
 あらゆる物が市場に出回り、容易に買える時代に育った子には、われわれが体験した物資欠乏のあのつらい思いが理解出来ないのだろう。だから、もったいないから倹約しようというのをケチと思うのである。
 ずっと昔のことで、今なお、折にふれ思い出すことがある。それは、すべてが極端に不足した時代のある日のこと。
 私が国鉄奈良駅の側を通りがかったら、二人の幼女を伴って男の人が駅から出て来た。昼ごろとて降りた人が少ない上、女児の服の色がひときわ目をひいた。
 「おじいちゃん」
と呼び盛んに話しかけていた。男の人は神官だった。くたびれた白い上衣に、これもまた古めかしい袴(はかま)をつけておられた。
 二人の女の子はたぶん、おじいちゃんの、とっておきの大切な袴地と思われる水色のキラキラ光る布で作ったそろいのワンピースを着ていた。
 若いお母さんがわが子のために一生懸命縫ったのだろう。現代の子が見たら、お世辞にもいいお洋服ね≠ニ言えるものではない。
 だが、おそろいの新しい洋服を着て、奈良の町へおじいちゃんに連れられて来たという喜びが二人にあふれていた。
 幼女らはおじいちゃんのしわの深い日焼けした顔を何度も見上げ、太い節くれだった手をかたく握って前後に降りながら跳びはねるように歩いていた。
 家中の人の心のこもった新調の洋服を着ているうれしさが、からだいっぱいに表れていた。
 今は何もかも簡単に手に入り、家の人の作ったのはみっともないわ≠ニ言う。
 「明日遠足という日に徹夜して、古毛糸でセーターを編んで子供の枕元に置いたものだけど、今はもう若い人は、あっさり買うわ」
と若いお嫁さんのこと思ってかYさんはさびしそう。
 今、あの時の二人の幼女に会ったら、私はこう言いたい。
 「あなたたち、本当に幸福そのものの晴れ着を着てたわ」と。

昭和57年(1982年)2月24日 水曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第49回)

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