乙女心
治多 一子
「年輩の先生が、授業中に態度の良くない生徒に注意したら、他の生徒にオジン辞めてしまえ≠ニ言われたのよ」
昨日夕方、久しぶりに出会った友人に聞かされた。
「教えている生徒にモロに言われたら、ショックね」
といいあったことや、ベテランの先生が生徒についていけないと休職されたという記事と考えあわせて、暗い気持ちで廊下を歩いていると、いつも大声で話しかけてくる女生徒のSが、そばに来るなり、ボリュームをあげて言い出した。
「先生、私にやったらいいけど、気の弱いAさんに、あんなこと言うたったら、乙女の心に傷つくわ」
Sは朝のことを言っているのである。Aが分からないというから
「理解出来ない人があるので、もう一度説明しますから、みんな目をむいて聞きなさい」
と板書しながら、一層やさしく説明しているのに、かんじんのAが、隣の生徒としゃべりながら顔じゅう口みたいにして教卓のそばでニタッ≠ニ笑っているので
「ケッタイな顔をして笑いなさるな!」
としかったのである。
乙女≠ニいう言葉を耳にするのは絶えて久しいことである。まして、しらけた時代のこの生徒から聞こうとは驚きであって、ゆくりなくも私の思いを遠い昔に帰した。ちょうどこの子らのころに。
銃後の乙女≠ニ言われ、いつもだれかが持ってきた千人針に武運長久を祈る熱い思いをこめ、級のみんなが、一針ずつ縫った。
また、異郷の見たこともない兵隊さんに、手分けして慰問文や慰問袋を心こめて送ったものであり、だれが言い出したか、学年全員で兵隊さんに軍足を送ることになった。下手でも乙女の心をこめたらいいということで、茶色の並太の毛糸で、かかとのない、ノッペラボウの靴下を一生懸命編んだことが昨日今日のように思い出された。
長い年月で、あのころの気持ちもとっくに忘れ私はすっかりヒネてしまい、今、生徒と私との現実の年齢の差からくる間の壁に戸惑いを感じている。
時代と社会の洗礼を受け乙女心≠熾マわるかもしれないけれど、いく度も昔をふり返りつ、生徒と同じころの自分を忘れずいけば、少しでも壁をなくせると思うのは甘いだろうか。
昭和57年(1982年)3月17日 水曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第50回)
©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.