遠雷(第51編)

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えがたき友

治多 一子

 E君は知人の息子さんである。今年あちこちの大学を受験して全部不合格という悲しい結果に終わってしまった。そして必ず成功するとは保証されぬ浪人生活に余儀なく入ることになった。
 「オレ、せめて予備校だけは合格したい」
 肩を落として、ボソッと言った。そして
 「近所のオバサンが、日ごろは買いに来ないのに、最近ちょくちょく買いに来て、オレのこと聞きよるねン」
 E君とこは食料品店をしていて両親が店に出ておられる。
 「オバサンとこに受験生がいるの」
 「そこの子オレと同じ大学受けて入りよってん」
 「あらそう、同じ大学受けてたの」
 「オヤジさんは、そのオバサンと会わんとこと逃げ回っとるし、お母さんは話をそらそうとしとるし……」
とE君は嘆いている。
 彼が今後、宅浪するか、予備校生となるか分からないけれど、世に言う灰色の生活≠ェ始まるのである。そして自己とのきびしい戦いの火ぶたが切って落とされたのである。
 逆境に、そして自分に負けることなく、精いっぱいの努力をし、来春見事目的校の合格の栄冠を得てほしいと心から祈る。
 受験の合否が世間で取り沙汰(ざた)されるころになると、いつも新しい感激で思い出すことがある。
 女学校の同級生Yは私と同じ学校に行きたかったのであるが、家族の都合で地元の学校を受験した。私は彼女に励まされたし、うかったら連絡してといわれたので、合格した事を言いに行った。
 小柄なYは、私にとりすがって
 「おめでとう。よかったわね」
を繰り返し繰り返し言い、切れ長の目に涙をいっぱい浮かべて喜んでくれた。余り喜んでくれて、一瞬たじろいだくらいである。
 世の中には、E君の近所のオバサンのように人の感情に無神経な人もあり、他人の悲しみは一緒に悲しんでくれる人はあっても他人の喜びを本当にわが事のように喜ぶことはなかなか出来にくいことである。
 彼女のように自分が行きたくとも行かれなかった学校へ合格した友のために涙まで流してくれることは誠にまれである。逆の立場だったら私は出来なかったと思う。
 涙があふれたあの黒曜石のような瞳を今もなお鮮明に思い出される。私はこの心美しい友のあることを誇りにしている。

昭和57年(1982年)5月5日 水曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第51回)

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