遠雷(第53編)

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恩師を思う

治多 一子

 「静かにしなさい!」
 私は問題をせずにしゃべっている生徒に注意したら、一人の男生徒
 「先生そんなカタイこと言ったら生徒に嫌われるで」
 「嫌われること気にしたら『先生』は出来ない」
と私。くだんの生徒再び
 「葬式にだれもいきよらへんで」
 「来ていらんワ」
と私は言い返し、あとで同僚に話すと
 「今どきの生徒ってそんなものよ」
と至極あっさり言う。
 同じ日の夕方友人に出会ったら
 「しみじみ教師冥利(みょうり)につきると思ったわ」
 「えー、どうして?」
 友人は、ある私立高校の先生である。
 「一昨年卒業した生徒から手紙をもらって、ジーンときたのよ」
 友はバッグから手紙をとり出し、私に見せてくれた。近況がきれいな字で書かれてあり、終わりに、『先生お元気で一日でも長く生きていて下さい。先生が生きていて下さると思うだけで、私はうれしゅうございますから…』、読んでいるうちに、この卒業生の師を思う心、それを受けとれる友人の感激を見て、目頭が熱くなってきた。友も目をうるませ
 「たとえ一人でも、こう言ってくれる生徒をもてて、学校へ勤めてよかったと思うわ」
 よく新聞やテレビなどで、何十年ぶりかで恩師を囲み、クラス会をしたなどと報じている。今日も信州で七十余歳、六十余歳の先生と二十数人の五十代の教え子とが、卒業以来初めて小学校のクラス会をしたとラジオが報じていた。
 先生のご存命を、かつての学童たちの喜ぶ姿が目に浮かぶのだった。
 数学科の私のクラスは五年ごとに級会をしているが、みんなもう年だから中間でもしようということになり、いつもの東京をやめて、一度奈良でやってほしいということで、私が世話をすることになった。
 一、二年の担任の先生は二人とも、もうとっくにこの世を去られ、三、四年を担任して下さったK先生が先年、定年で大学を退官された。先生は私たちと学校、工場、農村動員と行動をともにして下さって、みんなの若き日の想い出に鮮明に生きつづけている恩師である。
 〝先生どうか元気で長生きして下さい!!〟
 思いはみんな同じである。お元気な先生ご夫妻を、来年大和路にお迎えできるよう祈念している。

昭和57年(1982年)6月17日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第53回)

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