少年と蝉
治多 一子
太陽が照りつける八月のある日、友と二人田んぼの続く小道を歩いていると、三人の小学生が頭を寄せて道端にかがんでいた。一体何をしているのかと私たちはのぞきこんだ。
見れば一人があぶらぜみ≠持って羽根をむしり取っていた。生きている蝉(せみ)はバタバタともがいている。
数年間も地中にいて、やっと地上に出てきたら、たちまち捕らえられた蝉
「あんたたち何ということするの」
私たちは思わず声を出していた。
ほかの男の子が
「こいつらに食べさせるねん」
と言いつつ一匹のくまぜみ≠突き出した。それは羽根が透き通って美しく、あぶらぜみに比べてかなり大きい。
くだんの少年は、あぶらぜみ≠ネんかは大きく立派な蝉の餌(えさ)にされて当然だという顔つきであった。
もう何匹も生けにえ≠ノされたのだろう。胴体は無く、ただむしられた羽根のみが道に散乱していた。
「同じ蝉じゃないの。かわいそうに。もうやめなさいよ」
と言って私たちは立ち去った。それから私は友と別れH寺へ行った。一カ月ぶりにお目にかかった老尼様が、
「カメがすっかり馴(な)れて、私たちが廊下を通るとお池から出て来るのですよ」
「まあ! かわいいものですね」
「パンのヘタを手からもらって食べますのよ」
特にカメオくん≠ニ名付けられた一匹のカメは餌をもらってヒョコヒョコと御本堂まで行き階段のところで首を出して待っているとのこと。
こんなお話をうかがうと、同じ生命≠持ちながら餌にされてしまった蝉が、哀れに思えてきた。
あのあとで
「子供のしていたことに、人間社会の縮図を見せられたように思ったわ。今、話題になっている生体実験はじめ、同じ人間が理不尽に人間を支配し、しいたげていることが、いっぱいあるわ」
と友の言った言葉が暗くひびく。
帰途同じ道を歩き例の場所に来た。むしり取られ散乱していた羽根は一カ所に奇麗に小さく集められてあり、その横には道端に咲いていた小さな野草の花が供えてある。
それは、まさしく蝉のお墓≠ナあった。
私たちの言ったことを、あの子らは素直に聞いてくれたのだろうと、私は救われた気持ちになった。
昭和57年(1982年)9月30日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第56回)
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