M君に出会って
治多 一子
私はI神社の前の道を歩いていた。昼間は静寂な神社や寺院に沿った道も日が暮れてから歩くと、いささか薄気味悪いものである。
思い出さなくてもよいのに私はフト以前読んだ、フィルボッツの「闇(やみ)からの声」を思い出してしまった。あまりいい気持ちでない。
と、左手の細い暗い小道から長身の人影がヌーッと現れ私に声を掛けた。折も折とて思わずギャッ≠ニ叫びそうになった。まさに闇からの声だったから。だがジッと見ると、その所には私が教えたM君がさわやかな笑いを浮かべて立っていた。
「久しぶりね。元気で頑張っている?」
「ハイ。先生、今度ボクN会社に就職決まりました。大学で専攻したことが生かせるところでうれしいです」
「そう。本当に良かったわね。おめでとう」
M君は受験した大学を失敗して、やむなく予備校へ通う身となった。彼は関東弁のまじめで気の優しい生徒である。それだけに、友人たちがそれぞれの大学に入って、楽しい学生生活を送って行くのに、何の保障もない厳しい浪人生活に耐えて行かねばならないM君がかわいそうであった。
浪人中に出会った彼の顔は、やせこけて青白い。身心ともに厳しい試練を受けているのだなあと思い、ぜひ来春こそ合格の栄冠をつかんで欲しいと心から祈ったのが、まるで昨日今日のようである。
歩道を歩きながら、私は落ちついて語る彼の話を聞いていた。
「先生、ボク浪人して本当によかったと思いました」
「どうして?」
「ボクが採用されたところは、去年一人も採用されないところでした。現役で大学へ入っていたら、今のところに就職出来なかったのですから」
入試に失敗して泣いた彼。しかし数年後就職にほほえむ立場になったM君。人間万事塞翁が馬≠ニはこのようなことを言うのだろう。
人間生きて行く間にいろんなことに遭遇する。その時何故自分だけが、このような逆境に立たされるのかと思うことがある。しかし、目の前だけの現象にのみとらわれ嘆き悲しんでいてはならない。そのなかで、めげずに精一杯努力して行くことが、後日、自分を幸せにしてくれるものだと体験したM君であった。
「会社に入ったら頑張ります」
と明るい、はずんだ声を私の耳に残して彼は闇に消えた。
昭和57年(1982年)11月18日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第58回)
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