Rちゃんの年賀状
治多 一子
「何しているの」
「年賀状書いているところ」
「ヘエ! 珍しく早いわね」
「本当は今年もらった年賀状の返事なの」
「今ごろ書くくらいなら、一層のこと来年の年賀状にしたらいいのに」
一年近くもたち、師走に入ってからの返事だから、友達がそう言うのも当然である。だが、借りっぱなしで年を越したくない。
書く時期を逸すると、あいさつだけで済まず、言い訳やら、近況報告やらで結構時間がかかる。
昨年は十月には終わっていたのに、今年は年のセイかペースがグッと落ちたワイと思いながら、ボチボチ書いている。この子はお嫁に行ってあて名が変わっているのではないかしら、と思いつつ昨日も何枚か書いた。
「あんたは信仰心がないから、仏名会≠ノ行きなさいよ」
とお茶の師匠から半強制的に言われ、今日は返事を書くのをとめ、生まれて初めて仏名会≠ニやらに行き驚いた。念仏を称(とな)えながら、立ったり座ったりを百回繰り返すのである。知らぬとは言え、エライ事になった。明日は足にみが入るなあと思った。拝んでいる人らは真剣そのもの、私もつられてしまった。
「有為転変は世のならい、まことに諸行無常である……」
との法話を夜、思い出していた。明日は分からない、だがきょう天気に恵まれ、美しい斑鳩の里での宗教行事に参加出来たことをありがたく思っていたとき、電話のベルがなった。女の人の声。
「Kですの。おはがきいただきありがとうございました。あの子は」
という言葉に私は、やっぱりお嫁に行ったのだなあと思い、おめでとう…≠フ祝辞を言おうとしたら、電話の向こうで
「死にましたの。昨年の十二月二十二日に。二十日までに年賀状出さないと、元日に着かないからと言って書き終えた、その晩、高熱が出て、そのまま亡くなりました」
私は絶筆の年賀状をもらったのだった。話されるお母様の声は途切れがち、嗚咽(おえつ)が電波に伝わってくる。私も声がつまっていた。
清らかな感じのRちゃん。信じられない。大学を卒業してこれからというのに。さらに心理学を勉強し、輝かしい将来を夢みていた彼女。
はにかんだように笑っていたRちゃんの顔がクローズアップされて消えない。こんな悲しいことがあろうか。私は再び彼女からの年賀状を手に取った。あまりにも無常である。
昭和57年(1982年)12月23日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第59回)
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