遠雷(第60編)

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初釜にて思う

治多 一子

 「どう初釜(がま)は?」
 ご住職さまは昨秋入門したMさんにお尋ねになった。
 「ただ、もう感激でございます」
 ほんのりと上気した顔で彼女は答えた。ご住職さまは笑顔で
 「初めての初釜のときは、みんな感激するのよ」
とおっしゃった。言われてみれば私もそうだ。H寺のご紹介で此所(ここ)に入門したとき、私はあの初釜に凄(すご)く感激した。茶の湯にトント波長の合わぬ私であるのに…。
 大小大小中中大の鐘の合図で元禄時代のお茶室に入り、しわぶき一つとてない静寂さの中、聞こえるのは釜の湯の煮えたぎる音と、名も知らぬ鳥のさえずりだけである。
 ご住職さまのお点前のお濃茶をいただき、そのあと江戸初期の建立の客殿で精進の本懐石をいただく。見事な金蒔絵(まきえ)の重箱に
 「このお重箱、江戸初期のですって」
 「お料理草は京都の錦でお求めなさるのよ」
 「お寺のみなさんで全部作って下さるのよ」
と当時の大先輩が教えてくれた。食器の素晴らしさ、料理の見事さはまさに芸術品である。
 ああ、しあわせだなあ
としみじみ思った。それから二十数年、毎年毎年いろいろのお心こもり、趣向をこらした初釜であるのに、もう当たり前になり、当初のあの感動はもう今の私にない。思えば寂しいことである。
 O大学を出て高校の理科の先生をしているM君から年賀状が来た。
 「ボク初めて昨年学級担任になりました。楽しいです。頑張ってます」
と文面に躍動する若人の息吹が感じられ頼もしく思う。
 また先日会ったN君は昨春、蛍雪の功なりて国立の医大に合格し、医師を目指し勉学中である。彼は
 「私立の医大へ行ったら何千万円もかかるというのに、ボクは国で出してもらうので凄く安くありがたいです。医者になったら社会へ還元します」
と目を輝かせて言った。
 M君も、N君も最初の感激を忘れず頑張り通してほしいものである。
 初釜の感動を忘れた私は、人生をより退屈な寂しいものにしてしまう。物事に感動する心を呼び起こし、この一年を充実させたいものだ。

昭和58年(1983年)1月20日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第60回)

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