煙の中で
治多 一子
「昨夜また消防車が走っていたでしょう」
「このごろ、よく火事があるわね」
「以前は火事なんて本当に一年に一回くらいしかなかったのに」
久しぶりに出会った私たち、だれ言うともなく、こんな話になった。
「この前も法華寺で火事があって五人の方が亡くなったでしょう。気の毒にね」
「煙に先にやられてしまうのでしょう」
こんな話になると私は、いつも寮が焼けた時のことを思い出す。
それは、三月のあの東京大空襲の日のことであった。私たちの寮にも焼夷(しょうい)弾が落とされたが、防火訓練の成果ですぐ消すことが出来た。
しかし百メートル以上も離れているのに、全焼した失明軍人寮からの飛び火が、火事場に起こる恐ろしい風で私たちの方にドンドン降って来た。それが屋根の棟に移り、またたく間に紅蓮(ぐれん)の炎がものすごい勢いで這(は)って行く。
私は二階で消火につとめていたが、中央の階段のところからすごい勢いで炎がこちらに向かって来た。東の階段近くの友人は早く逃げたが、私は中央に近かったので逃げ遅れた。廊下は煙、また煙。もう息が出来なくなった。
「苦しい、空気を吸いたい!!」
私は外気を吸おうと窓を開けた。が、たちまち、ドッと真っ黒い煙が流れ込んで来た。まだ燃えてない階段まで何十メートルもある。このまま煙にまかれて死んでしまうのかと思った。
その瞬間、私は幼年倶楽部の記事を思い出した。十何年か前に読んだのを。
それは小学生の男の子が若い叔父さんだったかに連れられて汽車に乗った時、たまたまトンネル中で火災にあい汽車から下りて避難することになった。
「○○くん、ハンカチを鼻に当てるんだよ。水でぬらせたらもっといいが」
続けて叔父さんは、
「上は煙だが、地面の近くは空気があるから」
と言って教えたのを思い出した。私は床に顔を近づけた。冷たい空気があった。這うようにして階段まで来た。
水びたしの階段を身体を横にして滑り下りた。背骨を打つとカリエスになるのと聞いたのを思いだしたから。私は助かった。あの時階段で背骨をひどく打った友はカリエスになり、それが原因で数年後亡くなった。
人は、いつ、どんな危険にさらされるか分からない。そんな時、日ごろの訓練が、あるいは聞いた話が思わぬ時に役立つものである。だから危険から逃れるための訓練に積極的に参加し、また人の体験談にも真剣に耳を傾けたいものである。
昭和58年(1983年)3月3日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第61回)
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