遠雷(第64編)

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紅萌ゆる

治多 一子

 「これから新郎の同級生、先輩で寮歌を歌っていただきます」
 披露宴が終わりに近づいたとき、司会者が言った。新郎も新婦も、かつて私が高校で教えた生徒である。隣席の化学を教えておられたI先生は
 「二人とも私のところで教育実習をしました。とても頑張っていましたよ」
 わがことのようにうれしげに語っておられた。
 マイクのところへ十数人の人たちが集まった。若者もおれば年配の人もいる。
 「第三高等学校寮歌、紅(くれない)萌(も)ゆる=Bアイン、ツバイ、ドライ」
 仲人の京大のY教授が音頭をとられた。
 「紅萌ゆる丘の花…」
 寮生活を、大学時代を、はたまた遠く去ったわが青春を懐かしむ感慨をこめて歌声は宴会揚に響いた。
 私がこの歌を初めて聞いたのは映画の中であった。ずっと以前のことで、いつ、どこで、どうしたいきさつで見に行ったのか一切覚えていない。だが、あの映画の一場面だけが、折にふれ、思い出されるのである。
 長身の軍服を着た海軍予備学生が、小高い丘の上に立っていた。画面が暗かった。死地に赴く直前に短い生涯をふり返ってか、万感の思いをこめ歌っていた。
 「紅(くれない)萌(も)ゆる丘の花、早緑(さみどり)匂(にお)ふ岸の色、都の花に嘯(うそぶ)けば…」
 これは「きけわだつみのこえ」の映画である。作りごとでなく悲しい事実の記録である。
 私の友人Tは、学業半ばの婚約者Nさんを予備学生として送り出した。彼女はニコニコ笑ってよくNさんのことを話し、とても幸福そうだった。りりしく立派な軍服姿のNさんの写真を見せていた。そのNさんが戦死され、彼女は気も狂わんばかりのショックを受け、長くそれから立ち上がれなかった。
 その後の彼女の消息を私は知らされていない。Nも新郎の先輩であった。
 画面の先輩は、この歌をうたい、この世に別れを告げた。
 「お二人は新婚旅行にヨーロッパヘ出かけられます」
と先刻、司会者は告げた。みんなに祝福され、楽しい旅路につかんとする新郎は、懸命に歌っていた。薄幸の先輩の分まで幸せになってほしい。Y教授の声は、ひときわ大きかった。年配のこの方の胸に去来するものは何だったろうか。和して歌う私は、とめどもなく涙がこぼれ落ちた。

昭和58年(1983年)6月12日 日曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第64回)

随筆集「遠雷」第34編

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