遠雷(第65編)

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くちなし

治多 一子

 「こうしたら、きれいになるよ」
 突然Yちゃんが立ち上がって、みんなの方を振りむき、手にした白い蒸しパンをちぎって顔になすりつけた。
 「Yちゃん、汚いわ」
 「やめなさいよ」
 そばにいた級友は驚いて叫んだ。パン屑(くず)が床にポロポロこぼれ落ちた。
 それから二、三日して朝早くだれかが大声で私を呼んでいた。一体だれだろうと急いで玄関へ出るとYちゃんである。
 赤っぽい着物の上に赤いコートを着ていたが、衿(えり)もとがはだけ、裾(すそ)もだらしなく広がっていた。お母さんが娘のためにと心こめて作られただろうにと物悲しくなってきた。ジッと私を見る目は異様に光っていた。手に一本の白い花を持っていて私の顔の前に突き出し
 「あんたは、おしゃべりだからこれあげる。くちなし≠フ花よ」
と言いニタッと笑った。
 あんなにかわいい顔して賢いYちゃんが、なぜ急にこんなになってしまったのだろうと、彼女を送りながら不思議に思った。
 間もなく、だれいうともなくYちゃんについてのうわさが広がった。女姉妹の中で末っ子だけが男の子だった。長女の彼女は、だれにもまして弟さんをかわいがっていた。ところが急病でその子が亡くなった。Yちゃんはそのショックに耐えられず、ついに発狂したというのである。
 遠い遠い昔のことになってしまったけれど、私は芳香を漂わせ、濃い緑の葉の中で星のように、白いくちなし≠フ花が咲くときは、いつも悲しく思い出すのである。
 こうした哀れな話をよく耳にする。昨日も、かわいがっていた妹さんの病死のショックで姉さんが狂い、毎晩夜中に家出すると聞いた。この少女やYちゃんのように細かい神経の乙女心には、いとおしい弟妹の死の悲しみは耐える限界をはるかに超しているのである。
 新聞などで、上級生が下級生を寮やクラブなどで気合を入れるとかで死に至らしめることを知るが、親姉妹にとって、どんなに悲しくつらいことだろう。
 Yちゃんのお父さんは間もなく亡くなられた。私が彼女の家を訪れたとき、門の表札はすでに変わっていた。Yちゃん一家の消息を知る人は、だれもない。

昭和58年(1983年)7月26日 火曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第65回)

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