遠雷(第66編)

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怖いおばちゃん

治多 一子

 「幼稚園児が電車の中を走りまくって、揚げ句、土足のまま座席に上がるのよ」
 「家庭の躾(しつけ)なってないわね」
 「隣の和服の中年婦人がハラハラしているし、たまりかねて『ぼうや、お靴ぬぎましょうね』って言ったの」
 K寺院の施餓鬼(せがき)に来た私たちグループのNが話し出したのである。
 鳥取県出身の彼女の声は、とても優しくきれいで、歌う貝殻節は天下一品、聞いているものは、うっとりしてしまう。その優しい美声で幼児に注意したのである。
 ところが、少し離れてペチャクチャしゃべっていた母親は、Nの顔をハッタとにらみ、
 「○ちゃん怖いおばちゃんの所へ行きな。はよ、こっちへおいで」
 子供の手をひっぱって行ったという。
 昨日、H寺でお聞きした話だが、池の水の浄化のためのポンプを近所の子供が何度も壊すので、困り果てたお寺さんが、親からも注意してもらおうと、わざわざ行って頼まれたら、
 「ヘエ、そんなこと、しょりましたか。怒ったってくれはれ」
 それで終わりである。
 これに類した話を最近、よく耳にする。私は、こうした小さな子たちの家庭教育について聞くとき、いつもきまって思い出すことがある。
 それは、ずっと昔、ある日本人が、まだ東西に分かれていないドイツへ行ったときの話である。
 若い母親が幼児を連れて歩いていた時、何につまずいてか、その子は道路に倒れ、起き上がれず泣き出した。そのすぐあとを歩いていた日本人が−よく目にする光景であるが−思わず助け起こした。
 母親はその紳士にていねいに頭を下げ、お礼を述べていた。が、その日本人の姿が街角を曲がり視界から消えた時、若い母親は、
 「自分で起き上がりなさい」
といいつつ、わが子を地面に突き倒した。子供は泣きながらも自力で立ち上がった。その一部始終を見ていた別の日本人が帰国後、語っていた。
 親切にわが子を助け起こしてくれた人への心遣い、幼児の躾、当時小学生だった私は深い感銘を受けた。
 Nはさらに言った。
 「私はこんなことくらいにめげない。今後もどんどん車内で注意していくわよ」
 「ようやる! えらいわネ」
 私たちは感心してしまった。
 「次の時代の日本をになう子供たちのためだもの」
 彼女はさわやかに笑った。


※ 施餓鬼:〔仏〕飢餓に苦しんでいる生類(しょうるい)や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会。釈尊在世の時、焔口餓鬼の請によって阿難が行ったのに始まるという。水陸会。施餓鬼会。(広辞苑 第三版から)

昭和58年(1983年)9月5日 月曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第66回)

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