高校生とマンガ
治多 一子
今日は水曜日。少年サンデー、マガジンの発売日である。この数年、私は最寄りの本屋で毎週、この二冊を買っている。
戦前、少年倶楽部に連載の田河水泡(たがわすいほう)の「のらくろ」、島田啓三の「冒険ダン吉」など、本の出るのを待ちかねて読んだものである。しかし、それ以後、マンガを見るのは絶えて久しいことであった。
十年ほど前、廊下で話し合っている生徒の言葉で、意味が全然分からないのがあった。ボケッとしている私に、傍(かたわ)らの生徒が、
「マンガの中に出て来ますよ」
と教えてくれた。以後、私は時代(?)に遅れないようにマンガを見ようと決心したのである。それをきっちり実行している。
せんだって、ふと、高校生はどのくらいマンガをみているのだろうかと、現在行っている県立高校のある組で聞いた。男女生徒みんなが見ていた。いわゆる進学校でのことであるが、いずれの学校も似たり寄ったりだろう。それだけに、あまたの多感な高校生がさまざまな影響を受けることと思う。
近くの女子高生は、従姉妹そろって剣道部に入った。少年サンデーの「六三四の剣」で剣道にあこがれてのこと。「ベルサイユのばら」でフランス革命に興味を持ち、大学の史学に入った高校生。
かく言う私も、サンデーに連載の「男組」というマンガで拳法(けんぽう)という言葉を知り、まもなく少林寺拳法に入門し、現在も指導を受けている。こんな例はいくらでもある。
このように、マンガが読者に与える影響は決して少なくないと思う。社会がどのように移り変わろうと、明日を担う少年少女への大人の熱い期待は、いつの世にも変わらないはず。だからこそ、マンガを書く人は少年少女に夢と希望をもたらす作品を発表して欲しいと心から願う。
今後もし、私がマンガを読まなくなった時は、私が白墨(はくぼく)を手から離すときであろう。
昭和60年(1985年)6月11日 火曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第71回)
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