同じ一年間だが
治多 一子
私は先日、奈良県警から三十日間の免許停止処分を受けた。初めて走った道で、速度違反自動取締装置≠ナ写真を撮られていたのである。それが違反の動かぬ証拠だった。
突如、Y君の言葉が私の頭をよぎった。彼はカンニングを挙げられた時、
「いつもやっている者が捕まらず、初めてしたボクが挙げられた」
と、わが身の不運をかこち、嘆いていた。
私にとって遠い昔のことで、既に風化してしまったはずの言葉なのに、かくも鮮やかに今、よみがえろうとは…。
三十日間の免停は、一日講習を受ければ、あとの二十九日間は助かると聞き、交通安全学校で受講した。講師から、一年以内に免停を繰り返すと処分が急激に厳しくなると教えられた。
翌日、同僚は、
「かまし入って、もうせんやろ」
とニヤッと笑った。
「もう、コリた。でも、またやりソウ」
と私は答えた。
実際、後ろから大型車両が急速に接近し、クラクションを鳴らされたら、追突されるとの恐怖で違反する可能性がある。こう思うと、減点が消えるまでの一年間の何と長いことか。
そして、またしても教師根性で連想したのは、今春、無念の涙をのみ、再起を誓った浪人生のこの一年間である。
当初長いと思っただろうが、既に三カ月たった。夏休みが終われば月日は駆け足で来、去っていく。ふと気づいた時には、あれもこれも計画通りに行かず、もっと日時があれば、といらだつ。
受験勉強は他人との点の取り合いというセコイことでなく、自分の意志の弱さ、怠惰さ、安易な妥協など、自己との戦いである。計画を立て、根性でやり抜いてほしいと願う。
一年はあっという間に過ぎ去るが、自力でつかめる輝かしい未来になる。
それに比べ、私は、いつどこで警官に御用だ≠ニ言われるかの不安におびえつつ、ハンドルを握る。誠に暗くて長い一年である。
昭和60年(1985年)7月12日 金曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第72回)
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