冷酷人間ではなかった
治多 一子
いささかうれしがりの私は、
「ビルマの竪琴の試写券もらったのよ」
と友人に言って回った。彼女らはそろいもそろって言った。
「スゴク泣けるわよ」
涙腺の発達した私は、ハンカチをたくさん持って行った。だが二、三箇所でジワッと目頭が熱くなっただけである。
かつて親友が、
「オバンになったら、感激性がなくなるわよ」
と言ったのを思い出し、ああ、名実ともにオバンになったのかな、と考えたり、冷酷な人間になってしまったのか、とも思ってみた。
先日、テレビのチャンネルをひねったら、「子どもたちが聞いた戦争」というのをやっていた。宇良ルミさんの沖縄、佐伯敏子さんの広島、原島ハマノさんの満州での、それぞれの体験を子どもたちに話された。
聞いた一人が、「学校で先生から戦争の話を聞くが、先生も実際には戦争を知らない。今お話を聞いて非常に感動した」という意味を作文につづっていた。
先生も、この方たちも真剣に話をされたのだろうが、戦争の体験のない人とある人との子どもの心への迫り方が違ったのである。
ビルマの竪琴の場合、私が見た映画は新作で、友達が見たのは前作であった。
監督はいずれも市川崑さんであるが、俳優は新作は中井貴一、石坂浩二ら戦争体験のない世代の人で、前作は安井昌二、三国連太郎ら戦争の真っただ中で生きた人が演ずるのである。観客への訴え方の迫力が違うのが当然である。ハンカチが無駄になったのもうべなるかなで、私は冷酷人間ではなかった。
こう考えるとき、戦中で生きた私たちこそ、「またか」と思われてもよいから、戦争の悲惨さ、むなしさを折に触れ語らねばならないと思う。
映画では、水島上等兵が、ビルマで戦死した同胞のめい福を祈るため現地に残るのだが、私たちは同胞のみならず、戦争で逝(い)ったすべての人のめい福を祈ろう。もうすぐお彼岸である。
昭和60年(1985年)9月21日 土曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第74回)
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