立場、立場で
治多 一子
その日は確か十二月に入っていたが、年賀郵便の特別取り扱いは始まっていなかった。
電話のベルが鳴り、受話器から男の人の声。
「ハルタカズコさんですね」
「N郵便局ですが、年賀状出されましたね」
私は、てっきり年賀はがきを早まって出したと誤解し、注意して下さるのだと思った。ところが、くだんの人はさらに、
「六十年度のですね…」
「はい、そうです。今年正月にもらった返事です」
彼は、いささか言いづらそうに口ごもりつつ
「郵便局の手落ちで今ごろ配達していると思われ、新聞への投書などで社会の問題にされたら因る」
という意味の事を言われた。私は驚いてしまった。
「絶対大丈夫です。遅れて出す言い訳をチャンと書いてますから、ご安心下さい。実はまだ出すので…」
裏面を読めば、すべてのはがきに言い訳をるると述べているのだが、その人…、Nさんは、読まずに信書の秘密を守っておられた。なお、その折、郵便番号簿を頂きたい旨を言うと、直ちに郵便料金一覧表の下敷きまで同封して送って下さり、その誠実さと責任感に私は感激してしまった。
口の悪い友人は言った。
「大体あんたがおかしいよ。十二月に入ってから返事出すなんて、非常識もハゲシイで」
東京の友達からの督促もあり、私は返事を書こうとしていた証明に、印刷した残部の年賀状をわざわざ使用したのである。越年しては悪いと思い、慌てて暮れに出したのだが、Nさんには私の事情が、私はまたNさんのおかれている立場が分からなかったのだ。
これにつけても、今さかんに臨教審がいじめ≠フ問題を取り扱っているが、いじめる側、いじめられる側、さらに個々の実情、実態を考えると実に千差万別であり、私は、このNさんとのことから、この子らの立場に立って考えることの大切さをしみじみ感じさせられた。
今年こそ、年賀状の返事をせめてお盆までには出そうなあ、とひそかに心に決めたのだが…。
昭和61年(1986年)2月9日 日曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第78回)
随筆集「遠雷」第37編
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