話をするのは人間だ
治多 一子
二月十二日、私は親切にしてもらった職員さんに感謝の気持ちを伝えるために、奈良郵便局へ会いに行った。
受付で住所、氏名を書かされ、根掘り葉掘り面会の理由を聞かれ、やっと案内してもらったが、あいにく、その人は非番で会えなかった。
再度訪れることは時間的に不可能なので、局長さんにお目にかかりその方のお話をしたい旨を告げると、受付の人は、すぐさま、
「それは庶務課を通して下さい」
私は長い廊下をアチコチ表札を見、やっと探し当てた。たまたま入り口近くで立っていた中年の局員さんに、
「局長さんにお会いしたいのですが…」
聞かれるままに、またもや受付でと同じことを言った。連絡に行ったその人は、
「課長に会って下さいということです」
結局、課長さんに会って帰った次第である。
このいきさつを友人に言うと、即座に、
「あんた局長になめられてるのやで。国会議員とかの肩書あったら、すぐ会えたわよ。」
だれに言っても、意見は大同小異。
以前、私は切手を東京中央郵便局に申し込んで送ってもらっていた。が、ボール紙の台紙ごと折れ、シートに線の入ることが何回もあった。
たまりかねて三条通の奈良郵便局(旧局)に行った。今回と同じように、
「局長さんにお目にかかり、お話ししたいのですが…」
と職員さんに言うと、当時の局長さんはすぐお会い下さった。そして証拠に持って行った折れた切手も、新しいのを所持しておられた職員の方の好意で交換して下さった。
私は三条通の古い建物の前に立つと、いつもあの局長さんと局員さんを思い、心温まるのだった。
新しい建物に移り、規模も大きくなったら、働く人たちの態度や気持ちまで変わるのだろうか? 話をするのは、肩書でもなければ権威でも金力でもない。人間である。
上に立つ人の態度が、職員さんの温かい心に対する私の感謝の思いを凍えさせてしまいそうな一日であった。
昭和61年(1986年)3月2日 日曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第79回)
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