北斗の挙第八巻
治多 一子
私は「北斗の拳(けん)」が好きである。「少年ジャンプ」で読み、単行本を買い、テレビも見ている。Mちゃんも好きだというので、本を貸したげようと言うと、
「七巻まで見たので、八巻を読みたいです」
あいにく八巻を持っていなかったので、買ったら見せてあげると約束した。昨年十一月中旬のことである。アチコチの本屋を探したが、八巻だけはどこにもなかった。
突然、Mちゃんのお母さんから、
「風邪をひいて体の調子がおかしいので、検査の結果、十二月十日に入院させます」
との電話があった。
お見舞いに行ったとき、点滴の最中で、彼女はウツラウツラしていてお話できる状態でない。次に訪ねたときは元気そうであった。
私が、
「この間、車で歩道のブロックに乗り上げ、ホイールをつぶし、マフラーに穴開けたのよ」
と言った。同じことを何人もに話すと、大抵は、
「人身事故でなくてよかったですよ」
また何人かは態々(わざわざ)車を見に行って、
「エライことになったるなあ。修理に大分金かかるで」
とニタッと笑う。だがMちゃんだけは違う。
「先生、体何ともなかったですか」
「ありがとう。私は大丈夫。あんた優しいわネ」
「私こんなだから、みんな健康であってほしいと思います」
「北斗の拳」の主人公ケンシロウは、わが身が傷つき危機に瀕(ひん)しても、みんなの幸せを願って正義のために暴徒と闘う。その精神がMちゃんを引き寄せたのだろうか。
そのとき、もうMちゃんの死は目前に迫っていたのである。
彼女に頼まれて、お母さんは学級の人たちに
「…わたしは、少しずつ良くなってきました。みなさん、どうか風邪をひかないようにし、健康に注意して下さいね…」
と代書された。その翌日、高校一年のMちゃんは逝った。わずか二週間の入院生活であった。お正月を家で迎えることを願いつつ、暮れの二十六日未明、お父さんの腕に抱かれながら帰らぬ旅に出てしまった。
私は、やっと手に入った第八巻をMちゃんの墓前に供えた。小高い丘の上で、彼女をこよなく愛されたおじいさんのお墓と向かい合って墓標は立っていた。
今、映画館では「北斗の拳」が上映されている。
昭和61年(1986年)3月26日 水曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第80回)
随筆集「遠雷」第38編
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