ケッタイな話
治多 一子
先日、駐車違反の紙を張られている車を見て、突然、Uさんは、
「この間、駐車場の入り口に車を置かれて、私の車が出せず、もう腹が立って」
これを聞いた私も、一昨年の大晦日のことを思い出して、今更のように憤慨した。家の進入路を駐車違反の車に遮られて、私は生まれて初めて、除夜の鐘を家の外で聞かされた苦い経験がある。近所のNさんは、
「家の車庫の前に一日中、他の車が置いてあり、とうとう主人はタクシーで京都まで行きました」
昨夜のこと。家のすぐそばまで帰って来ると、赤い大阪ナンバーの車が道路をふさいで止まっている。奧には、数軒の家があるのに、横にならねば人ひとり通れない。クラクションを数回鳴らしてもだれも出てこない。夜も十時すぎ、近所の人の迷惑を思い警察に電話した。
だいぶたって、バイクに乗った警官が、一人やって来た。ナンバーから車の持ち主は分かったが、居場所が分からず連絡がつかないとのこと。もう十二時になっている。
「仕方がないから、あんたの車をどこかへ置いて下さい」
「ほかへ置けば、私が駐車違反になるし、困るわ。レッカー車で動かしてもらえないの」
私は頼んだ。だが、彼は、
「大阪はできるけれど、奈良県はできない」
と言う。
私の見聞きしただけでも、こんな被害を受けた人は非常に多い。
もし、けが人や、急病人が出て、すぐ病院へ連れて行かねばならないようなときのことを思うと、空恐ろしくなる。万一、火事の場合は一体どうするつもりなのか。ドライバーのマナーは言うに及ばず、行政側も駐車違反の紙を張るだけでは問題は解決しない。
車を直ちに移動する態勢がなければ何もならない。大阪ができて、奈良ができないとは、ケッタイな話である。
今日もまた、若い二人組の婦警が、セッセと駐車違反の紙を張っていた。
昭和61年(1986年)5月5日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第81回)
©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.