雲井坂の雨
治多 一子
「あなたたち、奈良に住みながら、何ということですか」
国語の時間のこと。正倉院がどこにあるのかだれも答えられず、T先生を嘆かせたのである。すごいのは、隣のMちゃんだ。私の袖(そで)を引っぱり
「チョット、正倉院って何やねん」
女学校二年生の時のことだが、折にふれて思い出す。当時から思えば、奈良も観光の波にのり、それなりに地元の人々の知識も増えてはきている。
先日、友人たちと公園を歩いていると、旅姿の二人連れの大学生に
「ロングスカートはいておられる仏さんのお寺はどこですか」
と尋ねられた。
私たちは顔を見合わせたが、だれ一人教えてあげることはできなかった。一人が
「聞き初めや、ホンマにあるのかいな」
後日、奈良市西紀寺町のl城寺だと分かった。いささか物知りのNが、昨日
「あんた、奈良八景って知ってるか?」
近江八景というのは聞いていたが、奈良八景とは初めて耳にする言葉である。さらに彼女は
「その中に『雲井坂の雨』ってあるのやけど、どこやろな」
まさか、時代劇に出て来るような雲助のたむろした坂でもあるまい。物知りの彼女の知らぬことを、私が知っているはずがない。今日、仲間に聞いたが、やはり知らないという。
国語の先生に調べてもらったら、旧営林署前の坂のことらしい。
今、奈良は、「あなたとなら大和路」と、大わらわで観光キャンペーン中である。もちろんそれも結構だが、それを他府県の人たちだけのものに終わらせてしまうとしたら、私たちの古都奈良≠ヘ枯死してしまう。先祖代々、あるいはこの奈良に生活を始めた人々にも、奈良をより深く知ることの地道なキャンペーンをする必要があるのではないか。
それが結局、古都を愛し、文化財を守ろうとする幅広い、堅実な運動の力になるに違いないと私は信ずる。
昭和61年(1986年)6月16日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第82回)
随筆集「遠雷」第39編
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