この世に唯一つ
治多 一子
昨日、私が佐保川沿いを自転車で走っていると、前方を歩いている、二人連れの姿が目に入った。途端、
「アレ、マアー、なんたることよ」
と、思わず、心に叫んだ。
私のと同じスポーツウエアを、中の一人が着ていたのである。三十代半ばであろうか。
その男の人はゴム長靴をはいている。通り過ぎるとき、目に映った感じに、ガッカリしてしまった。私が一張羅に準ずるくらいに思っている上着なのに、彼には全くの作業着なのである。
スポーツ店の女主人から
「これ、とてもよろしいですせ」
とすすめられ、つい買ってしまった。その後何人かに
「いい色やネ」
と言ってもらった。が、よくよく考えてみると色をほめたので、私に似合うとはだれも言ってなかったのだ。
風さいのパッとしない人が、自分のと同じものを着て、目の前に現れたのでガックリきたと、友人に言うと、
「あんた、ホンマにド厚かましいで。向こうのほうが、もっとゲッソリしてるわ」
考えてみれば、大手のメーカーが大量に生産したのだから、当然の現象である。
だが、手作りのものは違う。Sちゃんが、以前、うっすらと涙を浮かべて言った。
「母が、夜なべし、遠足の日の朝、まくらもとに手編みのセーターを置いてくれました」
昼間の家事に疲れた体で、娘の遠足に間にあうようにと、幾晩もかけて編みあげたセーター。それは、この世に唯(ただ)一つあるだけだ。
Sちゃんは今、両親に背いて家を出てしまった。だが、彼女の喜ぶ顔を思い描きつつ、目をしょぼつかせ、ひたすら編み棒を動かしたお母さん。その元に、いつの日か、必ず帰ることを私は心から信じ、かつ祈っている。
彼女と再三訪れた佐保路のK寺院に、お参りし、今日もSちゃんに思いをはせる私である。
昭和61年(1986年)7月21日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第83回)
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