遠雷(第86編)

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峠の碑

治多 一子

 行けども行けども、目的のものは見つからない。
 「いっぱいあるよ。刈るほどあるよ」
というIの言葉を、まともに信じた自分の愚かさに腹が立ってきた。同僚も同じ思いか、話す言葉も途絶えがち。突然、国語の先生のUが、
 「ここまで来たのだから、細峠に行きたいわ」
 その峠には芭蕉の句碑が建っているとのこと。
 私は芭蕉なんかどうでもよい。それより、せめて一本だけでも「あまちゃづる」を見つけたい。だが、これも浮世の義理と思い直し、付き合うことにした。細い杣(そま)道をあえぎあえぎ登り続けた。
 「こんな所通ったなんて、やっぱ、芭蕉は伊賀の忍び≠ゥな」
 やっと辿(たど)り着いた鼻先に碑があった。
 「雲雀より空にやすらふ峠かな」
と読める。さすがに涼しい風が吹く。一息入れて、ふと目を落とすと、あったのだ。あまちゃづるが。Uの碑を見たさの執念がつきを呼んだのかも…。
 「根を残しておきましょうね」
 あちこち探しながら行くと突然一基のお墓の前に出た。一礼して、探し続けた。そして帰途どう道を取り違えたのか、行けども行けども、車の置いた地点へは戻れなかった。初めのうちこそ、
 「美女3人遭難すってニュースに出るよ」
っていちびっていたが、急に心細くなり、
 「思い切って引き返しましょうよ」
 急坂を一時間以上も引き返すと、先刻のお墓の前に出た。こんどはゆっくりとお詣(まい)りした。
 峠に南面してたった一基の石碑には陸軍歩兵一等卒綛谷長次郎墓と刻み込まれていた。裏面には明治三八年一〇月一六日の建立の日付がある。側面は風化して、明治三七年戦死と辛うじて読みとれた。日露戦争の戦死者なのだろう。
 八十年もこの峠に、独りぼっちでこの世を見てこられたのである。満州事変、太平洋戦争と、どんな思いをしてこられたことであろう。
 「お盆にだれか詣られたのね」
 墓前には茄子(なす)が一つ転がり、供えられた花は既に枯れていた。
 一体、私たちに何を語り告げようとしておられるのであろうか。
 私たちは振り返りつつ山を下り始めた。
 「長次郎さん、また逢(あ)う日までさようなら…」

昭和61年(1986年)10月20日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第86回)

随筆集「遠雷」第40編

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