遠雷(第91編)

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赤い花

治多 一子

 一年ぶりに歩く峠への道は、岩石が露出し、登るのが困難である。幾度かの雨でずい分土砂が流されたのだろう。釣り舟草がかわいらしい花をつけているのを横に見、胸つき八丁ともいえる坂を登って行った。
 「気をつけないと危ないわよ」
 お互いに言いつつ、何度もズルズル滑り、辛うじて峠に着いた。竜在峠である。標識は右多武峰、左は竜門岳、左下に細峠とあった。
 私たちはコースを左にとり、芋ケ峠の方に向かった。草や木が生い茂る道をしばらく行くと、突然はるか右手に美しい盆地が見えた。まるで時代小説に出て来る隠れ里のようだった。
 「御所なのかしら」
 「高田かしら」
 それも束の間、再び杉、ヒノキの山、山である。
 街の固い舗道と違い、幾年月積もった落ち葉で、柔らかい道をひたすら歩いた。と、緑一色で埋めつくされた山峡に、一本の朱色の花をみつけた。
 「ああ、きれい、雁皮(がんぴ)ね」
 そう言った途端に、私はT先生のお話が思い出された。昨年興福院のお施餓鬼の日に、友だちと一緒に聞いたのである。
 T先生は召集され、満州に配置されたのである。もう、日本の敗戦の色も濃くなっていた。先生の所属された部隊は、果てしなく広がっている荒野を、夢も希望もなく退却する行軍を続けていたのである。ふと、その時、足元に咲いている真っ赤な花が、先生の目に止まった。
 「だれも見てくれないのに、あの荒野の戦場に名も分からないその花は、精いっぱい美しく咲いていた。すごく感動してしまってネ」
 明日の命が、いや次の瞬間の命さえ分からない戦場で受けられたその感動は、話を聞いた私たちの、みんなの胸にもろにきた。この浮世に、いかに生きるべきか思い惑う、私たちの胸に強烈に響いたのである。
 この「雁皮の谷」(森林浴に来た私たち三人組はそう名付けた)は、あの時の感動をまたしてもよみがえらせた。
 T先生のように、生徒の心に生き、その成長に応じ、さらに深く、大きく広がる感動を残すのが本当の教育ではないだろうか。そう思う時、私は長い教員生活にもかかわらず、ダメ教師だなあと、内心忸怩(じくじ)たるものがあった。
 今年の興福院のお施餓鬼の日には、T先生は、たった一枚のお塔婆になっておられた。

昭和62年(1987年)10月19日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第91回)

随筆集「遠雷」第45編

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