葛城山
治多 一子
「あんたの手、ゴッツイしわやな」
コーヒーを飲む私の手をしげしげ見て、Mが言った。Nは
「あんたも、名実ともにオバンやな」
二人とも女学校のクラスメートである。立ち居のたびに、思わず
「ヨッコラショ」
と掛け声を出してしまう。
老≠ヘ文句なしに、足音を立ててやって来ている。
スリムな身体にセーラー服をまとい、吉田絃二郎の小説を読みふけっていた文学少女のM。弓道二段のピチピチギャルだったN。どれ一つとして物にはできなかったけれど、各運動クラブを流れ歩いた自称スポーツマンの私。みんなそろって、みるかげもなくガタが来ている。
先日、八坂神社の献詠会でお会いしたAさん、Bさんの事を思い出していた。
お二人とも明治生まれの婦人で八十歳を優に超え、Aさんはもう九十歳。あちこちの歌会に入っておられ、この日も大阪から出て来られた。お足元を見ると、とてもそんなお歳(とし)とは思えない。
思わず、尋ねた。
「お若いとき、何か運動なさってましたの」
Bさんは
「女学校で、山岳部に入ってましたし、その後も、暇があれば山歩きをしてましたのよ」
「主人が大の山好きで、一緒に、よくあちこちの山を登りましたよ」
とAさん。そして、お二人とも
「葛城山には、しょっちゅう登りました。春のツツジ、秋のススキ、とてもきれいね」
とうなづきあっておられた。
山歩きを続けられた、お二人には、足の衰えがない。
山といえば、同僚で、ベテラン登山家の案内で登った大山の思い出しか私にはない。その時、はうようにして、つくばいながら、どうして、こんな辛い思いをして、人は山へ登るのかとばかり考えていた。
このお二人を見て、今更、この年で山登りして体を鍛えぬくことは無理としても、五十二段ぐらいは、ときどき登り降りしてみようかなと、ひそかに思う今日このごろである。
そして、お二人の好きな葛城山に思いをはせる私。お山も、私を待ってくれているのでは…。
昭和63年(1988年)2月8日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第93回)
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