遠雷(第93編)

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葛城山

治多 一子

 「あんたの手、ゴッツイしわやな」
 コーヒーを飲む私の手をしげしげ見て、Mが言った。Nは
 「あんたも、名実ともにオバンやな」
 二人とも女学校のクラスメートである。立ち居のたびに、思わず
 「ヨッコラショ」
と掛け声を出してしまう。
 老≠ヘ文句なしに、足音を立ててやって来ている。
 スリムな身体にセーラー服をまとい、吉田絃二郎の小説を読みふけっていた文学少女のM。弓道二段のピチピチギャルだったN。どれ一つとして物にはできなかったけれど、各運動クラブを流れ歩いた自称スポーツマンの私。みんなそろって、みるかげもなくガタが来ている。
 先日、八坂神社の献詠会でお会いしたAさん、Bさんの事を思い出していた。
 お二人とも明治生まれの婦人で八十歳を優に超え、Aさんはもう九十歳。あちこちの歌会に入っておられ、この日も大阪から出て来られた。お足元を見ると、とてもそんなお歳(とし)とは思えない。
 思わず、尋ねた。
「お若いとき、何か運動なさってましたの」
 Bさんは
 「女学校で、山岳部に入ってましたし、その後も、暇があれば山歩きをしてましたのよ」
 「主人が大の山好きで、一緒に、よくあちこちの山を登りましたよ」
とAさん。そして、お二人とも
 「葛城山には、しょっちゅう登りました。春のツツジ、秋のススキ、とてもきれいね」
とうなづきあっておられた。
 山歩きを続けられた、お二人には、足の衰えがない。
 山といえば、同僚で、ベテラン登山家の案内で登った大山の思い出しか私にはない。その時、はうようにして、つくばいながら、どうして、こんな辛い思いをして、人は山へ登るのかとばかり考えていた。
 このお二人を見て、今更、この年で山登りして体を鍛えぬくことは無理としても、五十二段ぐらいは、ときどき登り降りしてみようかなと、ひそかに思う今日このごろである。
 そして、お二人の好きな葛城山に思いをはせる私。お山も、私を待ってくれているのでは…。

昭和63年(1988年)2月8日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第93回)

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