遠雷(第94編)

掲載年リストへ   題名リストへ  前編へ  次編へ

コーヒーの味

治多 一子

 先日、所用でYさんを訪れた。顔を見るなりすぐ、コーヒーを入れて下さった。用件もひとしきりして、帰りかけると
 「もう一杯コーヒーいかがですか」
 自家製のおかきをたくさんごちそうになり、これ以上いただけそうもなかったが、厚意を受けた。
 「初めのコーヒーと、今のと、どちらがおいしいでしたか?」
 「この方が、おいしいわ」
と、即座に答えた。彼女は、ニーッと笑って
 「あとの方はインスタントですのよ」
 インスタントを飲みなれている私には、豆をひき、少しずつ熱湯をかけて作った本当のコーヒーの香りと、味わいが分からなかった。いささか哀しさがこみあげて来た。私自身、まがいものにならされてしまっていたのである。
 そして私は、ふと、奈良の景観に思いを寄せた。
 奈良街道を木津方面から奈良阪を経て帰るとき、左に東大寺の大屋根と鴟尾(しび)、右に聳(そび)えたつ興福寺の五重の塔、まさに古都奈良ではの美観であった。
 それが下駄(げた)を逆さにしたような県庁舎が建ち、景観がぶち壊されてしまい、すごいショックを受けた。それなのに、月日がたつうちには、ぶざまな景色を諦めて、当時の思いも風化してしまいそうである。
 先年、私は東京の親友Oを、飛鳥路に案内した。
 「わあ、蛙(かえる)が鳴いている!」
と、涙を流さんばかりに、感激し喜んだ。そのOが、久しぶりに、当地を訪れた。
 「ちょっと、何なのよ、公園のあの、なめくじや、きのこのお化けみたいなのは。一体、奈良県は何をしているのよ」
となじられた。
 考えてみれば、自然を壊し、文化財を破壊していくことが、しょっちゅう随所で行われている。それを見ている市民も県民も、知らず知らずのうちにならされてしまっているのではなかろうか。
 時を超え、距離を超えたところにある人々の意見を素直に心に受けとめ、いたずらに、為政者の意におもねることなく、世界に誇りうる風土、史跡を守るように、真剣に考え、実行に移す時ではないだろうか。
 本物とまがい物と見分けることは、容易なことではない。私は、本当のコーヒーを、しみじみ味わえるようになりたいと思う。

昭和63年(1988年)3月28日 月曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第94回)

掲載年リストへ   題名リストへ  前編へ  次編へ

©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.