コーヒーの味
治多 一子
先日、所用でYさんを訪れた。顔を見るなりすぐ、コーヒーを入れて下さった。用件もひとしきりして、帰りかけると
「もう一杯コーヒーいかがですか」
自家製のおかきをたくさんごちそうになり、これ以上いただけそうもなかったが、厚意を受けた。
「初めのコーヒーと、今のと、どちらがおいしいでしたか?」
「この方が、おいしいわ」
と、即座に答えた。彼女は、ニーッと笑って
「あとの方はインスタントですのよ」
インスタントを飲みなれている私には、豆をひき、少しずつ熱湯をかけて作った本当のコーヒーの香りと、味わいが分からなかった。いささか哀しさがこみあげて来た。私自身、まがいものにならされてしまっていたのである。
そして私は、ふと、奈良の景観に思いを寄せた。
奈良街道を木津方面から奈良阪を経て帰るとき、左に東大寺の大屋根と鴟尾(しび)、右に聳(そび)えたつ興福寺の五重の塔、まさに古都奈良ではの美観であった。
それが下駄(げた)を逆さにしたような県庁舎が建ち、景観がぶち壊されてしまい、すごいショックを受けた。それなのに、月日がたつうちには、ぶざまな景色を諦めて、当時の思いも風化してしまいそうである。
先年、私は東京の親友Oを、飛鳥路に案内した。
「わあ、蛙(かえる)が鳴いている!」
と、涙を流さんばかりに、感激し喜んだ。そのOが、久しぶりに、当地を訪れた。
「ちょっと、何なのよ、公園のあの、なめくじや、きのこのお化けみたいなのは。一体、奈良県は何をしているのよ」
となじられた。
考えてみれば、自然を壊し、文化財を破壊していくことが、しょっちゅう随所で行われている。それを見ている市民も県民も、知らず知らずのうちにならされてしまっているのではなかろうか。
時を超え、距離を超えたところにある人々の意見を素直に心に受けとめ、いたずらに、為政者の意におもねることなく、世界に誇りうる風土、史跡を守るように、真剣に考え、実行に移す時ではないだろうか。
本物とまがい物と見分けることは、容易なことではない。私は、本当のコーヒーを、しみじみ味わえるようになりたいと思う。
昭和63年(1988年)3月28日 月曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第94回)
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