遠雷(第101編)

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こ ぶ

治多 一子

 先日、偶然東向通で、女学校の同級生Mに会った。授業中にいつまでも笑っているとか、よそ見をするとか、何かにつけて怒られまくった仲間である。
 例によって叱(しか)られたあと、
 「社会へ出たら、あなたたちを、誰(だれ)も真剣に叱ってくれませんよ」
と担任のT先生。
 「早いとこ社会へ出たいわネ」
と言い合った。
 私が教師になって、十数年経(た)ったある日、同僚と歩いていたとき、図書館前で教育長のS先生にお会いした。私が勤めていた学校の、かつての校長先生だった。
 久しぶりにお目にかかり、懐かしく思った。先生もご機嫌で、いろんなお話をなさった。ところが急に何を思い出されたのか、私に
 「あんたは、しゃべり過ぎるよ」
とおっしゃった。
 先生とご一緒にN高にいた時、朝夕のあいさつ以外、何一つお話ししたこともない。その後お会いもしていない。だから、私がおしゃべりか、無口なのかご存じのはずはないのだが…。
 「誰かが、この先生に私のことをチクったな」
 途端、T先生のお言葉が頭をよぎり、これが社会なのだ≠ニしみじみ感じた。
 その後、長い年月が流れた。
 この間、友と竜在峠に行った。そこには赤い花をぶらさげた釣舟草が群生していた。
 私が私淑する、和歌の先生の奥様から、
 「釣舟草ってどんなお花なの。押し花お願いね」
とのご依頼に、採集して来て、友人に要領を聞き、一昨日やって見た。
 その時押し花にのみ気をとられていて、柱の存在が念頭になく、勢いよく立ち上がったところ、気絶するくらい角に頭を打ちつけた。脳内出血で、いよいよ私もヨイヨイになるのかと思った。たちまちこぶができた。じっとしていても痛くてたまらない。
 今日会った友に同情してもらおうと話すと、相手は即座にニヤッと笑って、
 「思い上がっているから、頭を打ったのよ」
 S教育長のお言葉で、陰で言われこそすれ、面と向かって叱ったり、注意したりしてくれないのが社会だから、心して言動に注意しようと心掛けていたのだった。ところが、哀(かな)しい人間の性(さが)か、何時のまにかそれを忘れ、人のひんしゅくを買う鼻もちならぬ人間になっていたのかも…。
 私は今日もアイスノンでこぶを冷やしつつ、あの時のT先生のお言葉を思い出している。

昭和63年(1988年)11月5日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第101回)

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