遠雷(第102編)

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鹿路トンネル

治多 一子

 竜在峠からの帰途、談山神社の前にさしかかると、上りと下りの車々。長い車の列である。同乗のYは
 「今日けまり≠ェあるのじゃない?」
 そう言われれば、十一月第二日曜日。恒例のけまり≠フ行事の日である。
 けまり≠ニ言えば、この談山神社で由緒ある社家のS先生から、
 「けまりを見にいらっしゃいよ」
と親切なお誘いをうけた。だが、お伺いしない間に、先生は他界された。これを話すと親友は
 「あんた、ただやと思って、土筆(つくし)採りや蕨(わらび)採りに、高いガソリン代使ってホイホイ行くくせに、惜しいことしたネ。あんたはアホや」
 奈良の三名花、白毫寺のつらつら椿(正しくは「五色椿」)、伝香寺の散り椿=Aそして東大寺ののりこぼし=Bこのうち前者の二つは既に見たが、のりこぼし≠セけは、見る機会がなかった。
 N高に勤務していた時、歓送迎会だったか、同窓会長の東大寺前管長の長老K師にお会いし、
 「のりこぼしを見にいらっしゃい」
と、やはり親切なお誘いをいただいた。近くだし、何時でもお伺いできると思っているうちに、月日が経(た)ち、師も今年遷化(せんげ)されてしまった。
 けまり≠フ行事は年々盛んに行われるだろう。のりこぼし≠熹N々咲くだろう。だが、親切にお誘い下さった、お二方は、もうこの世にいらっしゃらない。
 「あんた、ほんまに正味の阿呆(あほう)や」
と自分のことのように、口惜しがってくれる友。ご好意を無にした悔いが、日増しに大きくなってくる。
 この世に不変なものはあり得ない。まして限りあるのが、人の命だと、頭では知りつつも、心で分からなかった私。
 この夏、鹿路(ろくろ)トンネルの前で老婦人にあった。病気のご主人の薬をもらって来た帰りとのこと。バスがないので、談山神社から、一時間も歩いてこられたという。いろいろ話しているうちに、なぜか、この世の一期一会ということを感じていた。そんな私の心を知ってか知らずしてか
 「このトンネルを越えたところに、私の家があるから、ぜひいらっしゃいね」
と言って下さった。とても人なつっこい方である。
 人の心の絆(きずな)を、時間の長さで計ることはできないだろう。この世の一度の出会いを、悔いで終わらせたくない。師走の日曜日、同行のYと老婦人を訪ねて、鹿路トンネルをくぐろうと心に決めた。


※ 遷化:[仏](この世の教化を終えて他国土の教化に移る意)高僧の死去をいう。(広辞苑 第三版から)

昭和63年(1988年)12月17日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第102回)

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