遠雷(第103編)

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赤い鼻緒の下駄

治多 一子

 わたしたちは、かつて県立U高の教員として知り合い、その後、森林浴も兼ねて、あまちゃづるを採集する三人組である。その日、ゆっくりお話でもしようと、知人のくし焼きの店へ集まった。Y先生が、
 「S氏のお墨つきいただいたのは、よかったわネ」
と。私も全く同感である。
 春日の奥山で、野草でも採っていたら、管理人にどつきまわされるで≠ニ聞かされ、竜在峠で山仕事する人に伺ったら、採ってもいいよと言われた。が、ひょっとすると、れっきとした窃盗行為じゃないかなと、内心うしろめたさを感じていた。
 峠には、なぜかぽつんと一基の墓があった。日露戦争の戦死者綛谷長次郎さんのである。
 晩秋のある日、T尼様が態々(わざわざ)京都でお求め下さった、赤白の椿の造花をお供えし
 来夏までさよならネ
と言った直後、峠でS氏にお会いした。氏はU高の卒業生で、わたしたちが、あまちゃづる採っているのは全部、氏の持ち山であることが分かった。
 「来年もとらせて下さいね」
とお願いすると、
 「いいですよ」
とおっしゃり、みんなに名刺まで下さった。
 通る人とてほとんどない峠で、寂しい、ひとりぼっちの長次郎さん、とても気の毒で、信州善光寺の副住職のT尼様に、思いきってご回向をお願いしたところ、お快く聞き届けて下さった。
 胸つき八丁ともいうべき、峠への厳しい道を、みんな何度も立ち止まり立ち止まり、やっと登ってお墓にたどりついた。お経をあげていただき、心からめい福を祈った。でも、このようなことを身寄りの方は知るよしもない。
 ところが、秋の彼岸前、峠まで上ると、多武峰から来る花を手にした人たちと、ばったり会った。長次郎さんのお墓参りに来た身寄りの人たちだった。もう一分でも、わたしたちが早かったら、会えずに先に行っていた。
 これこそ、まさに長次郎さんのお引き合わせというものであろうか。仏さまが、S氏とも、身寄りの方とも、結びつけて下さったのだろう。
 出征する長次郎さんをみんなで築港から見送ったが、それっきり帰らなかったと聞いております≠ニ年配の婦人は話された。さらに当時幼子だった母は、元気でいます。そして、よく話します=B
 「船にのる前に、買うてもらった、赤い鼻緒の下駄(げた)を、今も忘れられんでなあ」と。

平成元年(1989年)1月21日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第103回)

随筆集「遠雷」第48編

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