遠雷(第104編)

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神さまは逝った

治多 一子

 チャンネルを回すと、テレビはのど自慢≠やっていた。そのとき、ふとAさんを思い出した。かつて、この番組に出て、苗木音頭を歌い見事合格の鐘をならしたと言われたAさん。
 美濃苗木藩士の家系だというAさんは、アナウンサーの問いに藩主Tさまを、お殿さま≠ニ誇らしげに語ったのが印象的だったと聞く。私のお茶の先生が、偶然、そのお殿さまの姫さまであった。
 間もなくお茶のグループで苗木を訪れた。その折、自家製の美味(おい)しい五平餅をご馳走になったことを懐かしく思い出した。A家のみなさんはどうしておられるだろう。
 先日、私はボランティア活動しているMさん、Sさんと知りあった。
 「長く病んだ母が亡くなって、大きな存在だったことに、はじめて気づいたわ」
 とMさん。
 「私には身障の妹がいるのよ」
 とSさん。
 さらに
 「弟がその妹の世話をしているの。そのせいか、弟が商売しても、何をしてもうまくいくのよ。本当に栄えているわ」
 妹さんを中心にSさん一族は動き、まとまっているのである。そして
 「旅行といえば、主人と一緒に妹のところへ行くことなの。よかったわネ≠ニいつも満たされた、さわやかな気持ちで帰ってくるのよ」
 それを聞いてMさんは、深くうなずき
 「亡くなった母が、家族の大きな、つなぎだったことをしみじみ思うワ」
 二人の会話を耳にしながら、またしても苗木のA家のことを思った。
 病身のY少年は、幼時藁(わら)塚から落ち、その晩からの高熱で、身体の自由を奪われ、病床に寝たっきりになってしまった。
 怜悧(れいり)な子であったのにとAさんは言われた。A家はその少年のためにまとまり、何もかも、その子を中心に動いていた。
 少年の目の輝きが、その微笑が、みんなの輝きであり、微笑であるという。
 「この子は家の神さま≠ナす」
 とAさんは言われた。苗木藩の姫さまから、あの少年が亡くなったことをお聞きした。
 間もなく少年の兄たちは、故郷を去り、都会へ行ってしまった。両親は、火の消えた寒々とした日々を送っておられるという。
 Sさんの妹さん、Y少年、いずれも苦しい、つらい、ハンディを背負った人である。が、その人たちに逆に励まされ、支えられ勇気づけられている人は多い。私たちは、本当の強さや、優しさを、その人から教えられるのだろう。
 「みんな自分の事だけを、考えるようになった」
と、Aさんは悲しげに語ったという。A家の神さま$タったのだ。

平成元年(1989年)2月25日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第104回)

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