遠雷(第105編)

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奇跡がおこった

治多 一子

 昨今の新聞紙面は、リクルート問題、県下参議院候補公認にからむもの、市の首長立候補問題まで誠ににぎやかなことである。
 もらったとか、もらわないとか。知っているとか知らない、出馬するとか、しないとか。複雑怪奇で、どれも私たちのコモンセンスでは、理解の範囲を超えている。
 政治通(?)のYさんの主人は
 「政治は、かけひきや、だましあいや」
と再三言う。それに呼応するかのごとく、農協のかつての婦人部長は
 「だまされるのが、アホや」
ときめつける。あきれ果てて、じっと顔を見た。
 党利党略、私利私欲のためにのみ動いているとさえ思える。崇高な政治理念はどこにあるのか。全く、国民、県民こそいい迷惑だ。
 それにつけ、今年初めにしていただいた夜咄(よばなし)の茶事を思い出した。二日も続いた雨。その日も天気予報どおり、午後から雨足が一層烈(はげ)しくなった。
 何日も前から、亭主側の準備は大変であった。折からの雨で、土間の上にいくつかの足元行灯(あんどん)が置かれてあった。本来なら庭に置かれるはずであるのに。屋根、庭木に落ちる雨滴の音は、烈しさを加えるばかりである。
 ところが、おも菓子をいただき、寄付待合でお席入りを待っていると
 「雨がやみましたので、お庭から入っていただきます」
と、亭主側の案内である。
 みんな草履をはいた。苔(こけ)の美しい庭に程よく点々と置かれた足元行灯。その光は幻想的で、私たちを夢の世界に誘(いざな)った。
 佐保丘陵にあるこの庭から、眼下に広がる奈良市の夜景は美しい。大中小…の晩鐘を聞いて本席に入った。
 お点前が始まったとき、いったんやんでいた雨は、再び烈しく降り出した。
 とうしびのみが唯一の明かりの中、私たちは心こもりのお濃茶をいただいた。この元禄時代のお茶室で、いかに多くの人たちが茶の湯を楽しんだことか。
 亭主は客を、客は亭主を思い、互いに感謝と労(ねぎら)いの心の通じ合い。その時訪れた、ひとときの雲の切れ間。人の力では、いかんともしがたい天候でさえ、神が嘉(よみ)し給うたのだと、そんな美しい奇跡が素直に信じられた。そう思ったのは私一人ではない。
 明日の新聞には、どんな記事が載るのだろうか。政治にたずさわる人、たずさわろうとする人は、真剣にみんなのために考え、行動してもらいたものである。

平成元年(1989年)4月1日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第105回)

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