誇るべき師
治多 一子
朝、八時すぎ電話が鳴った。Yからだと思った。彼女は何時も朝のうちに
「無農薬の野菜を預かってるから」
など、連絡してくれる。てっきりそれだと思った。が、
「亀谷です」
「ああ、先生」。
思いがけないお声であった。先生は昨夜から何度もかけて下さったとのこと。
この四月から京大理学部の聴講生になると、お便りした直後である。
「止(や)めず、続けるのだよ。ものにならなくても、やっていることに意義があるのだから」
「私は、関数論をやりたかったのですが、時間の都合で代数をとりました」
亀谷先生のご専門は関数論だったので、やりたかったのだ。ところが先生は、
「代数は、コンピューター関係もそうだが、すべての数学の基礎だから、代数をやることはよいことだよ。それに、京大の代数はとてもいいんだ。秋月さんがいたし、園さんもいたし」
「あれー、じゃ、正解だったですね」
と私はホイホイした。先生は、なおも
「みんな分かったようにしているけれど、だれもすぐ分からない。何度も何度も初めから反芻(はんすう)するんだよ」
と、若い新入生に対するように、おっしゃった。
「自分で考え、自分の理論を持つこと。理論だけでなく、演習問題を必ずやることだよ」
数室で先生の講義をお聞きしているようだ。
「わたしも、趣味で今、いろんなことやっているがね。逃げ道があるんだよ。年だから≠ニネ」
先生は、私が行きづまり、落ちこむことをもおもんばかり、逃げ口上までも教えて下さった。その優しさと、お心の深さを、ひしひしと感じた。先生の数知れぬ教え子の、その中のケシ粒にも等しい私のために、埼玉県川越市からお電話下さったのである。ありがたいことだ。
卒業以来、四十四年もの長い年月が流れている。それなのに、今入学した、若い教え子に対する情熱をもって、態々(わざわざ)励ましのお電話を下さったのである。涙があふれ出てきた。
U高校に行くため、車に乗った。急に旧制高校の寮歌を聞きたくなった。カセットを入れた。
よき時代に生き、青春を謳(おう)歌した若者の歌を聞きながら、今から教える高校生たちのことを思った。生活は豊かになったが、彼らは果たして精神的に幸せな時代に生きているだろうか。私は、彼らの本当の幸せを願わずにはいられない。
さらに、自分も私の誇るべき師に、一歩でも近付きたいと願う。
遥(はる)か彼方に、二上山が、空にくっきりと、ぬきんでて見えた。
平成元年(1989年)5月13日 土曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第106回)
随筆集「遠雷」第49編
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