遠雷(第109編)

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豪雨の日に

治多 一子

 突然烈(はげ)しく降り出した雨、篠(しの)つく雨とはこれだと思った時、あの二十四日の豪雨の出来事が頭に蘇った。
 コンピューターに強い先生に手ほどきを受け今日は充実した日だなあ≠ニ喜んで校門を出、24号線を暫(しばら)く走ったとき、急も急、あっという間に豪雨に見舞われた。フロントガラスに当たる烈しい雨に、ワイパーもほとんど役にたたない。前方の車を見失わないように走るのが精いっぱい。
 走る限界に達した私は、雨をやり過ごそうと、空き地を見つけ車を左に寄せた。が、何かにあたり進めない。バックしようにもタイヤは水しぶきをあげて空回りするだけ。一体どうなっているのか。あいにく、その日に限って、車に傘を入れてなかった。
 ドシャ降りの中、おりて見ると、歩道との仕切りのブロックに遮られていた。二、三歩あるいただけなのに、たちまち、ズブ濡(ぬ)れになった。JAFに助けを求めようと、電話をかけようにも、近くに家もなく、電話ボックスも見当たらない。雨が身体にしみて来た。
 困り果てたとき、信号で、トラックが目の前に止まった。走りより、助けを求めた。運転していた人は、私の車をチラッと見て
 「雨が止まないとだめだ」
と手を左右に振って言われる。万事休すと思い、途方に暮れた。
 しかし、何を思ったのか、突然ドアを開けて降りて来て下さった。私の車に乗り、調子を取りながら、アクセルを踏み、車を道まで戻して下さった。さらに親切にも、先に行きなさいと、おっしゃった。私はそのトラックをバックミラーにとらえつつ、そのまま進んだ。しかるべき所で降りて、改めてお礼を述べたかったから。
 しばらくすると、車はバックミラーから消えようとしていた。私は直ちに折り返し、ガソリンスタンドで、その人を見付けた。
 「ありがとうございました」
と心の底から礼を言った。その日、風邪気味だった私は、全身ズブ濡れに、熱でも出して寝込んでいたかもしれない。
 翌日、親友のNちゃんに言うと、
 「オバンのあんたを助けた人、いい人やで」
 私も本当にそう思う。
 「オーイ、女の人が溺(おぼ)れてる」
 「若いか、年寄りか」
 「年寄りや」
 「ほっとけ」
という落語だったかの台詞(せりふ)が頭に去来した。
 お礼を述べたとき、くだんの人は、はにかんで下を向き
 「濡れてたから」
と言葉少なく小声で言われた。誠にありがたかった。あの時、赤信号にならなかったら。あの人が、そこにおられなかったら。
 つきと言うのか、めぐりあわせというのか。感謝の気持ちでいっぱいである。
 昨今の、嫌な事件が続く世の中で、こうした善意が、私の心を明るくする。
 あの人は今日も、どこかを走っておられるだろう。どうぞご無事で、お元気でと、心から祈る私である。

平成元年(1989年)10月4日 水曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第109回)

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